昨年末から、「政府・与党が、公務員の労働基本権を回復する一方で、身分保障をなくす方針を固めた」といった報道が相次ぎ、1月17日には、橋本行革担当大臣が日本記者クラブでの講演で、①民間の知恵を活用した信賞必罰、②企画・実施それぞれの機能強化、③押しつけ方天下りの禁止、の三つをキーコンセプトとした公務員制度改革をすすめることを、強調しました。そして、それに呼応するかのように、人事院は2月13日、「職務重視、能力・実績主義の推進」を基本的な考え方に置いた俸給表体系の「見直し」を提案してきました。
現在行われている勤務評定も、評価は絶対評価ではなく相対評価であり、全員が同じ評価になることはありません。人事院は「見直し」提案の中で「ゼロサム時代には何に対して(賃金を)支払うのか」という発言も行っており、今回の「見直し」でも給料が上がる人があれば、必ず下がる(上がらない)人がでてくるという制度になることは明らかです。
現時点でも能力・実績主義の賃金体系が導入されている職場では、官民を問わず、「評価基準があいまい」だとか、「評価者の価値観に左右される」などの問題が指摘されています。「部署や仕事が違うのに、評価して順番をつける」というのは、「あんパンとジャムパンはどっちが美味いか決める」というのと同じで、合理的な根拠がないばかりでなく全体の合意を得られるものではありません。そうなれば、職場では仕事そっちのけの「ごますり」や「盆暮れの付け届け」が横行し、本当にまじめに仕事をしている人が報われるのかは疑問が残ります。
「能力・実績」の中身によって公平・公正な行政運営にも悪影響を及ぼします。たとえば、生活保護を「うち切る」のが評価されるのか、「認定する」のが評価されるのかで、仕事のやり方が変わってきます。「国民のための仕事がしたいと思ってもやっていることは全く逆」という悩みを抱え続けながら仕事をしていける人はどれぐらいいるのでしょう? また、「数をこなす」ことが重視されれば「ていねいな仕事」より「手抜き」する人が増えることも十分考えられますが、それが利用者や国民にとって本当によいのでしょうか? 自治労新潟のおこなったアンケートでは、能力・実績主義の導入で、職場が「活性化した」という回答がが3.9%しかないのに、その一方で「溝ができた」は15.6%にものぼっています。
人事院は、級ごとの金額の重なりにも着目し、「3級係員の最高号俸は9・10級の初号にも匹敵しているような今のままでは適切ではない」という考え方を交渉で表明しました。人事院の言い分を実現しようと思えば、上位の級の賃金水準を引き上げるか、下位の級の賃金水準を引き下げるかのどちらかとなります。
現在でさえ、採用された省庁によって昇格水準に著しく差があるのに、定数や職務評価の問題で低い級にとどまらざるを得ない仲間が、賃金を切り下げられるケースもないとは言えません。
以上の点からも能力・実績主義の強化、俸給表体系「見直し」を許さないたたかいをすすめる必要がありますが、一方で「自分の仕事を評価してほしい」「仕事をしない人は給料が下がって当然」という意見があることも事実です。
重要なのは、まず、生計費原則を重視し、最低水準の賃金でも健康で文化的な生活ができる賃金を保障させることであり、そのうえで、職場や本人の合意や納得の得られる評価方法・基準を作っていくことではないでしょうか。
その点で言えば少なくとも現在の政府・人事院のやり方を許すわけにはいきません。