全大教中央執行委員会の声明は、行革本部の「公務員制度改革の大枠」に対し、
を挙げて批判しています。
今回の公務員制度改革の動きについては、さまざまな立場からの批判がありえます。この声明の特徴は「労働基本権確立」(⇒スト権確立)を前面に掲げていることでしょう。かっては、ストライキを構えてスト権を要求するというまでに運動が盛り上がった時期があったようです。けれども今や、高校の教科書で「権利」として習いはしたけれど、実際には「ストライキして、みんなに迷惑かけちゃだめ!」といった感性が先に立つ人が大多数になってはいないでしょうか。まずはこの辺りから、議論を始めるべきかもしれません。だいたい「合法的」なストライキには、どんな手続きが要るんでしょう?
また、この声明には「生計費原則」の立場からの論点は見えません。「女房子供を抱えて苦しいから・・・」といった考えは、表に出さないことになったようです。これは「労働の対価としての賃金」、あるいは「同一労働同一賃金」という思想の現れといえるかもしれません。このあたりは、よくよくこちら側の考えを整理してかかる必要があるようです。
現在の公務員制度については、すでに職組内部でもさまざまに批判のあるところです。立っていようが座っていようが、はたまた寝ていようが、エスカレーターに乗って(乗せられて)、そのまま運ばれていく今のありようには、確かに問題があります。「『恣意的な人事管理』を恐れているだけでは何も変わらない。」そうした焦燥感を覚える人がいて当然でしょう。「新たな政府の組織で働くのは新たな公務員でなければならない」という「公務員制度改革の大枠」の冒頭の一文は、そうした思いに適ったものと言えるかもしれません。
今回の全大教の声明は、最後に「現代社会において求められる民主的公務員制度のあり方について、大学・高等教育の特性も加味しながら積極的な検討を進める」としています。この「現代社会において求められる民主的公務員制度のあり方」の内実はなんでしょう?情報公開法に示されるような、オープンな構造の保障かもしれません。あるいは仕事によっては、『大枠』が言うような業務目標の設定が有効なのかもしれません。あるいは一労働者として、雇用者としての市民と正面から向き合うことが重要なのかもしれません。「求められる民主的公務員制度」については、市民との対話も通じ、さまざまに構想していく必要があるように思えます。