国立大学の独立行政法人化について、一文を投稿いただいています(紙幅の関係で著者の了承を得て簡略化しました):
国立大学の独立行政法人化をめぐって、さまざまな議論がある。中には、もう独立行政法人になることが決まっているかのような物言いをする人たちもいるし、それを見越して、いろいろソロバンを弾く向きもあるようだ。たとえば自民党のベンチャー育成小委員会が先月出した「『大学発ベンチャー』育成のための課題(中間報告)」(http://www.jimin.or.jp/ jimin/saishin00/seisaku-043.html)では、
「大学発ベンチャー」を育成するためには、・・・平成15 年に予定されている国立大学の独立行政法人化に当たって図るべき措置が多いが、緊急を要する問題であり、それを待つことなく早急に図るべき措置についてもとりまとめる。
といった具合だ。
今の国立大学には、外から見て金になる「おいしい」部分がある。だから、国立大学がどうにかなるという時にはいろんな連中が群がってくる。でも、こうしたハイエナのような連中にいいように議論されている状況は、国立大学にいるものとして、いささか不愉快だ。けれど、それに反対する人たちを見ていて、やはりどこか違和感を覚えてしまう。
このあたりの私の今の状況認識と率直な気持ちを、少し書いておきたい。
国立大学の身の振りをめぐって、今の政治の世界での焦点は、独立行政法人化そのものではなくて、“民営化”の是非というべきだろう。
自民党と文科(文部)の間の綱引きで大学行政が決まるという、大時代的な発想に立つ方々は、自民党のさる筋や文科省高官の話を肯(うけが)って、何かともっともらしく情勢を語る。あるいは、「その折には是非よろしく」と、自民党筋に「陳情」するビッグ・サイエンス関係の方がたもいるようだ。でも民主主義の原則を大事にするなら、そうした「裏」の話でなく、「表」で何が語られてきたかをきちんと整理しておく必要があるだろう。
たとえば先に亡くなった小渕さんは、一昨年の自民党の総裁選挙で「国立大学の独立行政法人化の推進などによりまして、大学への競争原理の導入も図る・・・」と公約した。今度、首相になった小泉さんは先の総裁選挙で、「大学の研究と経営に競争原理を導入する」と公約している。
この一方の民主党は、99年夏の「政権政策(案)」で国立大学の「原則民営化」を打ち出した。この3月に出した参議院選挙政策では若干洗練された形で
国立大学は将来、地方立(公設民営など)や私立大学に移行することも視野に入れ抜本的に見直します。大学教育に対する国の支援は、・・・少数の大学院大学に限定します。
ということになっている。与党の側だが、公明党・保守党は、「私学重視」を明言していて、民主党の主張に近いようだ。
政治の裏は知らないが、表舞台では、独立行政法人化のトーンの強い自民党と、私学化のトーンの強い民主党とがせめぎあっている。そして今の状況では「民営化を前提とした独立行政法人化」ということで決着する可能性が高い。民主党はこの線での妥協を図っているらしいし、「構造改革」を謳う小泉内閣にブレーンとして入っているのは、「国立大学については、独立行政法人化をはじめ将来の民営化も視野に入れて段階的に制度改革を進める」とした、小渕首相時代に置かれた経済戦略会議のメンバーだ。
独立行政法人化に反対する声がさまざまにある。しかし「反対」という、いわば“入口”の所では一致していても、その結果どうしたいかという“出口”については、大きく隔たった意見が渦巻いている。中には「今のままでどこが悪い」という人から、「大学紛争以来30年の宿題を一挙解消」という人もあるようだ。この“出口”の議論がないまま、「反対」だけをことさらに叫ぶことに、私には大きなためらいがある。
同じことは独立行政法人化に賛成の人たちについても言える。独立行政法人化は、高給の理事ポスト、おいしい天下り先の増加でもある。いろんな文書の新しい書式さえ整えば、「改革」の掛け声の一方で、実は「何も変わらない」。あるいは公共性の低下だけが進む可能性が高い。現に、産総研など除けば、多くの独立行政法人化した研究機関は、現在、そうなりつつあるようだ。
私は、「今のままでどこが悪い」といった主張には反対だ。
☆定員外職員を何十年にわたって放置しておいて、だれが責任を取るわけでもない、この仕組みはまちがっている。
☆看護婦の夜勤回数が30年以上前の水準さえクリアーできないのに、「高度先端医療」を追いかけ、それにブレーキのかからない、この仕組みはまちがっている。
☆歴然たる男女差別を差別とも呼ばず放置してきた、この仕組みはまちがっている。
☆ともに学問に列なる同志である院生・学生に、一方的に負担を強いて責任を問われない、この仕組みはまちがっている。
☆教員の中に教務職員・助手といった、英訳にも苦しむような職階をこしらえて、差別的な取り扱いをする、この仕組みはまちがっている。
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今のままの大学を維持したい人たちの中には、何かと「学長のリーダーシップ」を唱えたがる人たちが多い。中小規模の大学ならともかく、京大のようなマンモス大学では、これは戦前の日本軍、天皇を頂点とする無責任体制の再現となるだろう。「勤続30年の非常勤職員(!)」を生み出した責任を、それでとってくれるならまだしもだが、「リーダーシップ」にともなうべき、「学長の責任」なり「経営責任」はあまりに議論されないではないか。
私は今の無責任体制を、早急に是正して欲しいと思う。そして「民営化を前提とした独立行政法人化」でそれが果たせるなら、“前向き”に考えたいとも思っている。