いちょう No. 99-22 00.3.16.

調整手当の見直しをめぐる動きが急です。4月上旬に支給見直し地域の提示、5月上旬に支給率変更の決定、という人事院の昨年末からのスケジュールはその後も動いていません。中央の折衝の中で、「京都・名古屋・神戸は現在の10%の水準を維持できないだろう」という話が囁かれているとの情報もあります。こうした情勢を受けて開かれた3月1日の学習会について、中央執行委員の地鉱の堤さんから一文をいただいています。


調整手当の学習会に参加して

地鉱 堤 久雄

3月1日の昼休み、組合本部で学習会がありました。京都国公事務局長の九後さんが講師で参加者は19名でした。九後さんの話は、調整手当の歴史から、現在の見直し反対運動の局面まで、短時間ながら非常に密度の高いものでした。

☆☆☆ 調整手当とは?

調整手当というのは「民間における賃金、物価及び生計費が特に高い地域に所在する官署に勤務する職員等に、当該地域における物価、生計費の事情を配慮して、地域による給与の実質的な格差をうめることを考慮して支給される手当」(給与法第11条の3)です。歴史的には、「臨時勤務地手当」(46~48年)、「勤務地手当」(48~57年)、「暫定手当」(57年~70年)という変遷を経て、1967年から「調整手当」として支給されるようになりました。当初の「(臨時)勤務地手当」では、戦後の混乱期で大都市での生活が苦しいことから30%といったかなり高率のもので、また支給地域も当時の6大都市(うちの子供の話では政令指定都市は、今は12らしいですね。皆さんみんな言えますか?)に限られていたそうです。それが世の中が落ち着いて来て、そろそろやめていこうというので「暫定手当」となり、それに対する反対の声の中で人事院が出した「都市手当」というプランが修正されて、30年程前に今日の「調整手当」が生まれたようです。

☆☆☆ 調整手当に関するこれまでの見直し

調整手当には、「なぜ京都市は10%なのか」「なぜ住んでいるところでなく、勤務先で決まるのか」など疑問が多いですが、それはこうした歴史的な経緯から来ているところが大きいようです。この30年ぐらい見てみると89年までは、支給地域が広がる一方、支給率が引き下げられる形で、調整手当を解消する方向での手直しが行われてきたように見えます。これが92年の「見直し」では、人事院は折からのバブルの影響を考えたのか、あるいは本省のエゴか(たぶんこちらの理由でしょうが)、大阪府下を軒並み引き下げ、東京を10%から12%に引き上げるという挙に出ました。そして景気が下向き加減の今、昨年に引き続き、人事院は再び「見直し」の動きを強めています。

☆☆☆ 今度の「見直し」は、5月決着。そして「賃下げ」!

現在、1999年度の調整手当の配分は東京23区12%、京都市10%です。それがこのまま行くと、再来年度、2001年度の配分は東京12%(+α?)、京都6%になりそうです。昨年の夏にも同様の動きがありましたが、全国の仲間の闘い(署名など)で人事院勧告での調整手当「見直し」を断念させることができました。今回人事院は昨年の失敗を繰り返すまいと、8月の人事院勧告の時期を待たず、5月の連休明けには実現したいと必死になっています。 東京の物価指数、部屋代(これが高い)、民間賃金などが高いと言って、東京が京阪神とそんなに変わらないと思います。なのに東京に現在12%と手厚く配分しているのには、実は数字に基づく理由らしい理由はないそうです。理由は簡単、人事院のお膝元だからだと感じました。

もし京都が10%から6%になった場合は、行政職で45才~52才ぐらいで年25万~30万円の減収になる見込です。教育研究職はこれ以上に下がると思います。皆さんどう思いますか?

10年前なら、まだ給料のベースアップも少しは期待できたし、目減りした分の埋め合わせもつくと、少しは納得できるところがあったかもしれません。でもボーナスのカットで戦後初めての年収減となった今、こうした「見直し」をやるのは、「賃下げ」の追い撃ちに他ならず、人情に遠い仕打ちだと思います。もしこのようになったら・・・。あぁ~考えただけでも頭にくる。あなたの給料は下がってもいいのですか?もし、反対なら今すぐに署名を・・・・・


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