いちょう No. 99-19 00.1.25.

国立大学の独立行政法人化・民営化にかかわって、私立大学の方からの声がもう一つ聞こえてこないようです。今回のいちょうでは、工学院大学の蔵原さんによる、「現在の学校制度の根幹」(=設置者と学校の区分の原則)を危うくするものとして独立行政法人化問題を捉え、学校法人制度の有効性を説く論説を紹介します。


国立大学の法人格と学校法人制度

工学院大学 蔵原清人


☆☆☆ はじめに ☆☆☆

国立大学の独立行政法人化に関する議論について、率直にいわせていただければ、国立中心の論議ではいけないということです。国立大学の独立行政法人化の問題は国公私のすべての大学に対する攻撃であり、従って全大学人が力を合わせて国民に訴えなければならないものでしょう。その意味では私立大学をふくめた全大学人が自分のこととして理解できる論拠を提出しなければならないと考えます。

私は独立行政法人化問題を見る上で、まず第1には、独立行政法人化が大学についての考え方を大きく変えるものであることを見ておくべきだと思います。これについてはすでに様々に指摘されていることですので、ここでは取り上げません。

制度の問題としては、今回の独立行政法人では大学に経営の責任も、教育と研究の責任もともに負わせることになります。現在の学校制度の根幹にある、学校の設置者と、設置される学校の区別の原則を厳密に守らせることが重要であると考えています。法人化することによって国立大学ではいろいろなことを自主的に決定できるという期待も一部にあると思いますが、独立行政法人は自主的決定が出来るとは決していえず、法人化をするとしてもこれ以外の方式がありうるということを見ておいてもいいのではないでしょうか。そうした視点から学校法人制度について検討してみたいと考えます。

★★★ 学校法人という制度 ★★★

現在、私立学校は学校法人が設立するものとなっています。学校法人の目的は公教育を行うことですから、「私立学校」と呼ばれていますが公的な存在です。私立学校ということばは明治のはじめからのものですが、「私立」と呼ぶことによって設立者が勝手に、恣意的に教育をしてもかまわないというような認識を許したのではないかと思います。また戦前では学校の法人は財団法人でした。

こうした点を反省して、戦後の教育改革の中で私立学校も公教育の一環であることを確認しました。私学助成もこうした見地で行われています。また私立学校について、設立者の個人的な財産であるとしたり、恣意的な教育や運営を許さないために(実態としてはいろいろ問題があるのですが)、財団法人の制度の不備を補って学校法人という制度を新たに設け、複数理事の必置、同一親族が役員になることの制限や、解散時の財産処分の制限、理事会、評議員会などに教職員や同窓生の参加を法定するなど、公共性を担保する仕組みが作られています(私立学校法)。もっとも制度的に不十分な点もありますし、私学における実態として、どれだけこうした原則が貫かれているか大きな問題があります。

★★★ 「設置者」と「学校」の区別 ★★★

また、戦前の私学は、学校そのものが法人となるのが本則で、学校設置を目的とする法人というのは例外として位置づけられていました。それが戦後は国公私立を問わず、学校は法人格をもたずにその設置者が法人格をもつこととなりました。そのため設置される学校は、設置者の区別なく学校教育法によって規定し、設置者については国立は国立学校設置法、公立は地方自治法、私立は私立学校法によって決められています。

戦後に明確になった学校と設置者の区別は、学校は教育・研究の推進に専念し、財政などの条件整備は設置者が専らあたるという、分業ないし責任分担の考えから来ていると思われます。この区別は、学校は教育や研究の自由を保障され、教育行政は条件整備を担当するという、戦後改革の原則を制度的に保障する担保になります。(以上、拙稿『戦前期私立学校法制の研究』工学院大学共通課程研究論叢第35-1号1997年10月参照)

★★★ 国立大学の法人格 ★★★

従って、現在、日本ではいずれの大学も、大学自体は法人格を持っていません。法人格を持っているのは設置者のほうです。ですから現在でも、国立大学の設置者(国)は当然、法人格を持っているわけです。

戦後の改革で、教育行政の一般行政からの独立が問題にされ、文部省とは別に「中央教育委員会」の設置が提唱されました。しかし、国レベルの教育行政は一般行政から分離されず、その後一般行政に従属する度合いが強まっています。これでは国のコントロールが強すぎます。そうした中で国立大学の自主権の確立の方策として、法人化を検討するということ自体は、当然のことと思います。

しかし国立大学が法人格を持てば自動的に独立性が保障されるわけではありません。そうなるかどうかは、他の条件整備、すなわち教育行政の方針転換と制度的保障が必要です。特に国立学校行政を一般行政から独立して行われる必要があります。いま議論されている独立行政法人が、そうした条件を満たすものではないことは明らかです。

また独立行政法人制度では、国立大学は学校であると同時に法人でもあるのです。これは戦後の設置者と設置される学校の区別という原則を否定することで、学校に教育研究の責任ばかりでなく、財政・経営の責任まで負わせるという大きな問題があります。これは国立大学の方々の不安を引き起こしている点だと思いますが、単に不安や危惧という問題ではなく、戦後の教育の原則の否定であるということを明確にする必要があると考えます。

★★★ 学校法人制度の可能性 ★★★

これまでのわが国の経験からすれば、将来、もし国立大学に法人格をもたせるとすれば、ありうる形は「独立行政法人」という形ではなく、学校法人しかないといえるのではないでしょうか。少なくとも、戦後設けられた学校法人という制度は、行政からの独立性と教育財産の保全、公教育としての公共性、教育の自由の保証といった面で、万全ではないとしてもかなり完成された制度であると考えます。

学校教育法では学校法人の設立する学校は私立学校ということになっていますが、学校法人の規定それ自体は非常に柔軟で、本質的に私立学校だけに限定しなければならないものではありません。たとえば議会(国会、地方議会)で選任した理事をいれたいとすれば、寄付行為(これは法律用語で、財産を出して学校法人・財団法人を設立すること。そしてさらにその際の根本規定のことを言います)で定めれば可能です。実際、キリスト教系の大学で、宣教師などから理事になることを寄付行為で決めているところもあります。また教育方針についても、設置者が最初に寄付行為で決めることができます。従って自治体などが設立するとき、宗教色の排除など必要な条件は寄付行為で決めて変更できないということすればいいと思います。

このように学校法人というものは、大変自由度の高い制度です。しかしそれだけに、この制度だけで民主的な学校の運営が保証されるわけではありません。大学構成員の意向を学校法人の運営に反映させていくための努力は、こうした方式をとった場合でも必要です。教授会や学生自治会、組合などの活動はこの意味でも重要です。

☆☆☆ おわりに ☆☆☆

現在出されている国立大学の独立行政法人化は、あたかも国立大学にとって自由度や独立性が増すようにいわれ、法人化とは独立行政法人化の外はないかのような議論がされています。これにたいして具体的な検討に基づく批判が必要ではないかと考えます。独立行政法人に代わる対案の検討も今後、必要になるでしょう。この意味で独立行政法人制度に対比させて、すでにある学校法人という制度の、以上検討してきたような特質を見ておくこと、特に学校法人は現在は私立学校の設置者とされているがそれに限られない大きな自由度を持った制度であることを見ておくことは意義があると考えます。

いずれにせよ、今、大事なことは、教育の自由、学問の自由、大学の自治をどう確保するかにあります。またそれなしには日本の教育と研究は将来にわたって十分な発展を保障することが大切であるが、独立行政法人化ではこれは保障できないことを明かにし、国民にアピールすることでしょう。このために以上の検討が役に立つならば幸いです。


大学執行部の管理運営の権限を保持、強化した形での国立大学の法人化は、大学執行部に席を置く人々にとっては快い考え方であり、文部省筋などが主張する「強いリーダーシップを持った学長」(=名実ともに“総長”)を導くものでもあります。この一方、大学・学校一般のありようについて、「学校経営と教育研究の責任の所在を分けて考えるのが戦後教育の原則」とする、上の蔵原さんの議論に立てば、それに替えて、管理運営部門と教育研究部門の緊張の上に国立大学の自治を構想する試みが、もっとなされてよいことのように思われます。みなさんからの、活発なご意見を期待します。


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