いちょう No. 99-13 99.11.18.

11月2日中央教育審議会(中教審)は、「初等中等教育と高等教育との接続の改善について(中間報告)」を発表しました。この中間報告は昨年10月の「21世紀の大学像」大学審議会答申で、“出口の議論はあっても入り口の議論がない”という批判を受けて、翌98年11月に当時の有馬文部大臣が諮問したのに答えたもの。大学入試のあり方を主眼に、「初等」「中等」「高等」教育それぞれの位置付けについてもかなり踏み込んだ記述をしています。たとえばおそらく初めて「ポスドク」も教育課程の一部として位置付けられています。年内に予定される「教育改革国民会議」の設置も控え、われわれとして十分な検討が必要かと思われます。今回のいちょうでは、理学部の入試制度についての研究もある、国際交流室の登谷さんに寄稿いただくことができました。


これからの大学入試 ―― 中教審中間報告について

国際交流室 登谷 美穂子

先日、中央教育審議会から「初等中等教育と高等教育との接続の改善について(中間報告)」が出された。かなり大部の報告書で、全部を読みこなすのは大変だが、「中等教育と高等教育の接続」をもう少し平たく言うと、大学入学試験をどうするかということに帰着する。最近の組合活動は、というよりも私が幽霊組合員を返上した途端、独立行政法人化問題検討委員会、大学評価機関検討委員会専門委員会、設置形態検討委員会という具合に、やたら漢字が連続して並ぶ報告書を読まされる羽目になって、少々漢字に食傷気味である。それで、今回はひらがなの多い記事をかくぞと決心しているがどうなることやら。

「高学歴化」「少子化」の中の大学と大学入試

今年の、中学卒業生の97%が進学しているそうである。こうなると高校はほとんど義務教育である。そのうえ、高等教育機関に進学する率が69%と、同世代の3人に2人が高等教育をうけているという、高学歴社会に日本はなっている。一方、「少子化」によって18才人口は減少しており、私立大学は大変経営状態が心配な事態になってきている。余談だが、国立大学の独立行政法人化が行われると(別に諦めているわけではないので、誤解のないように)、日本全国の大学が学生の取り合いをしなければならなくなる。冒頭にあげた「初等…改善について(中間報告)」は、大学に関連するところだけをみると、18才人口が減ったときの高等教育の役割は何か、入学試験はどうあるべきかといった問題について審議会が検討した報告書である。

高等教育の位置付け ―― 大学6年制で親のすねはますます細く....

この中間報告の高等教育の役割を述べているところを、大ざっぱにわたし流に読むと(正確には本文を読んでいただきたい)、学部段階の教育では、豊かな教養と高い倫理観をはぐくみ、自分で考え行動できる力を付けるため、教養教育を重視するとある。これを読むと、多くの大学で教養部解体がなされたばかりなのに、一体あれはなんだったのだろうと考えてしまう。専門教育についても、余り専門的なことを学ばずに、生涯学び続けるための基礎を養うとある。専門は、大学院に入ってから勉強すればよいという方針のようである。これは、まさに大学6年制である。個人的には、ますます親のすねを細くすることを推奨していると読める。また、国際舞台で活躍できる人材を育てると特に書いてある。このためには外国語教育の充実、留学のすすめを推奨とある。これで、国際交流室は留学の資料がほしいとか、英語をしゃべれるようにしてほしいとかいう学生がきてくれるので、私はまた忙しくなる。しかし、決して来日留学生を増やして国際交流をはかるとは書いてない。欧米への一方通行なのである。

期待される入試のあり方

この記事を依頼されたときの本来の課題は、理学部の入学者選抜方法の問題点について書きなさいということだったような気がする。従ってそれを書かないと、編集者から小言をちょうだいしそうなので、入学者選抜についてこの中間報告書はどう触れているかをみてみる。

これからは受験生が減るから、入学者選抜は今までのように落とすための選抜試験ではなく、大学の各学部・学科は教育理念、目的、特色などに応じた多様で、確固とした特色ある「入学者受け入れ方針」(これをわざわざ、アドミッション・ポリシーとカタカナで言う)の確立をまずおこない、「大学はこのポリシーにあう学生を選抜で見いだす。」受験者側から言えば、「自分の人生目的にあった大学をきちんと選択しなさい。」ということである。大学は、「入学者受け入れ方針」を広く受験生に知らせたうえで、入学者選抜は求める学生を見いだせるような、多様な入試を行うべきである。その際、いままでのように1点差刻みの客観的公平を求める選抜ではなく、論理的思考ができる能力があるか、学ぶ意欲があるか、入学後に伸びる可能性があるかも考慮した選抜を行い、合否の判定を下す必要があると書いてある。これを考慮できる選抜試験をおこなうのは、学力検査はもちろんのこと、面接も必要である。これはひょっとして、大学教官の選抜試験ではないかと思ってしまう。

理学部の入試は ・・・ 敗者復活戦としての後期試験

理学部の入学試験は、前期日程と後期日程がある。今年度で言うと定員は326人、前期294人、後期は全体の1割の32人である。後期日程の目的は、一芸に秀でた学生を入学させようと言う点にある。つまり、英語や国語が少々苦手でも、数学と理科が飛び抜けて優秀ならよろしいと言うことになる。しかし現実は、そんなに理想的にことは運んでいない。後期日程の受験者、入学者のうち、共に約三分の二が前期日程を失敗した者が占める。後期日程は単なる敗者復活戦の色が濃い。さらに入学後、入試に語学がないことが裏目に出て、語学の単位がなかなか取れずに留年という傾向も強い。卒業に必要な語学の単位は16単位であり、これは2回生までに取っておくことが望ましい。なぜなら、専門に入ると実験や演習で忙しくなるからである。しかし、この7年間の平均で見ると、理想的に2回生で16単位取ってくる学生は、前期日程で50%、後期日程は35%しかない。これは、入試に語学を課していないことの余波であろう。しかし、“理科や数学のずば抜けた才能”を本当に生かして自分の生き方を決めているかどうかは、たとえば、大学院に進学して独創的な研究を行っているといった、卒業後の進路を調査しないと何とも言えない。これがわからないと、後期日程の目的が達せられているかどうかはわからない。今後の課題である。

おしまいに ―― 考えるべき課題は多い...

多様な入試が求められると、研究者はますます研究をしている時間がなくなる。報告書は、多様な、丁寧な選抜試験を実施するために、高い専門性を持ったスタッフを有するアドミッションオフィスの整備を提言している。このオフィスは、高校と大学の相互の理解と協力に基づいて機能させるべきであろう。考える課題は多い。

最初に目標とした、ひらがなの記事にはほど遠くなってしまった気がしますが、いかがでしたでしょうか。


今回の中教審の中間報告は、大学入試については、「受験科目数の削減を求めない」とした以外は、前回97年の第2次答申の若干の軌道修正を行ったのみで、前回答申とさして代わり映えのしないものとなっています。むしろ「影響力のある特定の大学や一部の私立大学における改善」までも求めた前回の答申より、トーンダウンしているとさえいえるかもしれません。また「学力の低下」(=これまでの文部省・中教審路線の否定)について、①中学校段階までを見る限り学力の低下はない、②大学については“データがない”、③高校についてはだんまりを決め込んでいます。

ただし小・中・高・大の“役割分担”については、大学教育の教養教育の重視が一段と強まり、大学版「学習指導要領」が現実のものになる可能性があります。もっともこれは高校までと同様、「指導要領に基づく教育の行われる公的学校」として、国立大学を差別化して“生き延びる”策になるかもしれませんが・・・。さらに「高校と大学の連携」を謳っているものの、その具体的な姿は特に、京大や東大といった「全国区」型の大学については見えてきません。いちょうでは、本答申が出た時点で、今一度、この問題を取り上げる予定です。


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