教養部が廃止され、「全学責任体制」での「高度一般教育」が始まったものの、昨年の夏にも開かれた「比叡山会議」でもあらわになったように、全学共通科目、1、2回生の教育には、大きな問題が現われてきています(いちょうNo.97-6,7掲載の人間支部の冨田さんの論説参照)。今回のいちょうでは、全学の全学共通科目に関する委員会(語学)で、理学部の委員として尽力いただいている、政池さんから寄稿いただきました。
教養部の廃止に伴って全学共通科目の教育が危機的状態にあることは誠に憂慮すべきことである。その最も顕著な例が外国語の問題である。もともと京大生の語学力には問題があるとよく言われているが、教養部が廃止されて以来それに拍車がかかり、今や教官数の減少もあって教官の多くは疲労して情熱を失い、学生は勉学意欲を無くしている現状を見過ごすことはできない。その最大の原因は教養部を廃止して総合人間学部を創立した時点でその理念が十分議論されず、それによって当然もたらされるはずの問題点に目をつぶって新しい体制に突き進んだためであるとよく言われている。総合人間学部が「全学共通科目」の実施責任を負うことを約束してようやく教養部廃止にこぎ着けたわけで、これを守ってほしいと強く望んでいる学部は多い。しかし今この点にだけ議論が集中して肝心のリベラルアーツとしての一般教育のあるべき姿についての議論がどこかに吹き飛んでしまっていることに問題があると考えられる。
遅まきながら全学共通科目の科目別の専門委員会が昨年6月にスタートし、この問題を議論し始めたことはとにかく評価してよいことであろう。外国語(C群)の専門委員会に例を取ると既に11回の議論を重ね、これまでの一般教育の矛盾を掘り下げ、明確な教育理念に基づいて改革に取り組もうとしている。
私の考えでは英語教育の目的は「国際コミュニケーションの手段」と「外国文化文学の理解」及び「専門分野研究の手段」と位置付けられるし、初めて学ぶ「第二外国語」については幅広い教養のための基礎語学としての意義も大きい。これらの理念をはっきりさせた上で、現実的な問題解決の糸口を見出す必要がある。自由な学風を重んずる京大では語学を学ぶ目的も学生一人一人で異なるであろうが、少なくとも上記いずれかの点で入学時よりも卒業時にレベルが向上していることを最低の条件として課すことも一案であろう。
さて、今大きな問題になっているのは現在第一、第二外国語それぞれ8単位(通年1コマで2単位)を必修科目としているが、これだけの必修科目は絶対に必要かどうかという点である。現員の教官数ではこの1/3しか担当できず、残りは非常勤講師に頼っているという現状はあまりに異常である。これを是正するには必修単位数を縮小して密度の濃い教育をする方向を検討すべきかもしれない。現在の語学教育の荒廃は大人数クラスにあるので、思い切った小人数教育を試みてはどうかとの意見も強い。また上述の目的から考えて英語以外の外国語の必要性は英語に比べてずっと少ないという事実も認識せざるを得ない。また専門分野の研究のための語学は総合人間学部を含めた語学以外の教官が協力することも必要かもしれない。
更にTOEFLなどの外部試験の活用、英会話教育の充実、teaching assistance制度の活用、コンピューター利用英語教育科目の新設、語学センター設置の検討などについて具体的に踏み出してみる必要がある。
このような取組みをはっきりした理念に基づいて進めることこそが一般教育を実りあるものとするために必要なことであろう。このための総合人間学部の語学教官の増員を強く望むことは当然として、今となってはいたずらに「約束」についての議論に終始していても建設的な方向に進まない時期に来ていると思われる。