私は1965年(昭和40年)に理学部地球物理学科を卒業するとすぐ、防災研究所に行かされて、ずっと宇治におりました。昭和から平成と呼び方が変わった1989年に、防災研究所から理学部地球物理学教室に戻ってまいりました。理学部に替わって、ほっとしたのは、これで組合の役員をやらなくても済むと思ったことでした。と言うのも、職員組合の防災研支部は、理学部支部に比べて小人数であり、しかも、遠隔地の組合員がかなりの比率を占めていたため、宇治勤務の組合員は、毎年のように支部か本部の役員をやらされていました。当時、宇治の田舎から、たまに職組本部の集会に出てくると、理学部支部の教官の論理整然とした話しぶりと、病院支部の看護婦さんのパワーにすっかり感心したものでした。聞くところによると、京大職組は、「御三家」と呼ばれる支部で支えられており、理学部支部がその筆頭であるとのことでした。そのほか、病院支部が「御三家」に入っていたことは間違いありませんが、もう一つが、教養部支部だったか、工学部支部だったかは忘れました。いずれにしても、理学部支部は、人材が豊富で、活発な支部の活動を展開しているだけでなく、京大職組の活動の中核となっていることに私なりに納得し、頼もしく思っていました。
そんな理学部支部に移ってきたのですから、私のようなものが支部の役員に引っぱり出されることはないと、大船に乗ったつもりでおりましたところ、理学部に替わって間もなく、当時の支部役員の方が私の部屋にお見えになって、「支部長をやってくれないか」とおっしゃったときには正直に言ってびっくりしました。ともかく,何も様子がわからないからとお断りしました。
それから数年が経ちました。山田前支部長が私の部屋においでになったのは、今年の5月半ばのことです。あとを引きついで欲しいというお話でした。これまでの事情を説明し、いったんはお断りしたのですが、「できる範囲でやればいい」というお言葉で、引き受けることにしました。幸い、藤村前書記長が、本年度の支部4役に、私以外は、みな、頼もしい人達を配して下さったので、安心しております。
大学を取り巻く本年度の大きな流れとして、独立行政法人化の動きがあります。定員削減が進行するなかで、定員外職員の定員化がままならない現状や、単年度予算の硬直性を考えると、いっそ独立行政法人化した方がやりやすいのではないかとの声も聞かれますが、地球物理学を専門とする私が危惧するのは、何十年にもわたるデータの積み重ねに基づく地道な研究がやりにくくなるのではないかということです。慎重な検討が必要と考えられます。
政府の強引さが目に余り、腹の立つことも多いこの頃ですが、一年間、どうかよろしくお願いいたします。
支部長 | 竹本 修三(地球) | 書記長 | 平井 栄子(物理) |
副支部長 | 木寺 詔紀(化学) | 書記次長 | 池村 奈津子(宇宙) |
支部委員 | 島原 健治(事務) | 那須たみ子(地鉱) | 米澤 可矢(植物) | 大槻 義実(化学) |
有賀 哲也(化学) | 東 敏博(地球) | 小松 千代(地球) | 西山 隆子(宇宙) | |
内梨 美紀(物理) | 小岩 孝子(物理) | 吉川 研一(物理) | 初田 哲男(物理) |
なお監査委員は、山田耕作(物理)、藤村陽(化学)、氷室智子(物理)の三方です。