春は別れと出会いの季節でもあります。理学部支部からもこの3月、長く支部と関わってこられた方々を送り出すことになりました。今回のいちょうでは、地球の富田房江さんからいただいたあいさつを紹介します。
理学部に働き始めた頃(1965年)は、結婚してさらに子どもができても働き続けるという人は少ない時代でした。私たちの前の世代の女性たちは、一般的には働き続けるためには、結婚しないか、あるいはおばあちゃんに見てもらうかして働いていたと思われます。そうした中、当時学内では組合を中心にして、保育所運動や平和運動が展開されていました。そこで必要に駆られて保育所運動に関わり、組合に入りました。私たちの世代からは組合のおかげで、保育所で専門の保育者に子どもを見てもらって働くということができていったのでした。今の人には想像できないかもしれませんが、6週間の産後休暇が終わって43日目から小さい子供をつれての行き帰りに「かわいそうに」「どこへこんな赤ちゃんをつれていくの?」と怪訝な様子でよく聞かれたものでした。まだまだ乳幼児のための保育所があることが知られていない頃のことです。
当時も授乳時間の休みなどの育児保障の制度はあったのですが、実際にそれらを実行していくには、職場や事務当局の理解が得にくく、難しい問題が多くありました。肩肘張っての職場から保育所に子どもを迎えにいき、仲間達の顔をみるとほっとして座り込んでしまう日々でした。理学部支部のみなさまには京大の北(今の朱い実保育園)南(風の子保育園)の共同保育所時代から様々の援助と協力を頂きました。保育所の大きな収入源である年2回のバザーへの援助や出店、また共同保育での保育労働への参加などなど・・・。そして婦人部(今の女性部)を中心にした運動で、女性であるが故の問題、とりわけ産後休暇の8週間への延長や、産休代替人の実施を獲得できたことは有り難いでした。おかげさまで私は3人目の出産で、はじめて産休代替人が確保されました。学内のあちこちに、子供ができても働き続ける女性が増えていってことはとても心強く思えました。そしてその後、子育て、PTA活動などの連絡をとりあいながら、話し合いの場をもつことができるようになっていきました。
理学部支部は、大学とは何ぞやと教育・研究の場で働くことについて、いつも問い続ける活動をするところでした。中でも定員問題はそれらの根本的な問題として、地物分会の仲間たちと、いつも考え、熱心に討論してきました。夜遅くまで、口角沫をとばして教官組合員のかたがたと議論したことを懐かしく思い出します。図書館部会では、孤独になりがちな一人職場への励ましや、移り変わる仕事内容についての学習の場をたくさん提供していただきました 。
理学部支部は大学という教育研究の場にあって、私たち働く者がどんな姿勢で日々の仕事に関わっていったら良いかいつも教えてくれるところでした。教研集会やさまざまな学習会を通して、いつも私たちの仕事のあり方がチェックされる場が理学部支部にありました。 日常のさまざまな出来事で揺れる時、理学部支部の活動は立ち戻るべき場を示してくれるものだったと思われます。
一人職場で保守的になりがちな私には、理学部支部は学校のような存在だったと有り難く思っております。組合の活動を通じて、たくさんの人々に出会い、いろいろなことを教えていただきました。
お陰様で今日の日を迎えることができたことを感謝しております。これからも理学部支部の前向きに話し合う気風を大切にして、元気な組合であり続けて頂きたいと思います。