いちょう No. 95-24 96.6.6.

このところ、理学部支部は個性豊かな新しい仲間を次々迎えています。新しく職組に加入された、化学の木寺さんから届いた挨拶を紹介します。


自己紹介をかねて

化学  木寺 詔紀

はじめまして。今年の4月から京都大学大学院理学研究科助教授として着任いたしました。よろしくお願いします。

以前は、吹田市にあります、生物化学工学研究所(旧蛋白工学研究所)という所におりました。そこは通産省が主体になって7割の資金を出し、残りの3割を民間企業(18社)が出資することによって約 10 年間の時限立法で作られた株式会社です。資本金を基礎研究を行うために食いつぶして 10 年後には解散してしまう株式会社です。すでに蛋白工学研究所がこの3月に解散して、後継の生物工学研究所が発足しました。研究の内容は蛋白工学、及びその周辺の学問分野(主に構造生物学と呼ばれる)ですが、そこで私はタンパク質立体構造の理論的研究をしておりました。

生物分子工学研究所には、ある意味、社会の動きから隔絶された(実際は、通産官僚や企業の人びととの関わりを強く持たねばならない役割の人も、少なからずいるのですが)、10 年の時限をひとつのモラトリアムの期間とすることのできる、十分な資金を与えられた研究グループがあります。一日が研究で始まって研究で終わる日々が、私の場合 7 年余り続きました。こちらに来てからは、その対極にある生活で、研究だけに明け暮れた日々を、懐かしく思い出しています。

それよりずっと以前、学生のときは、百万遍の近所の工学部高分子化学におりました。京都大学というところには、博士課程を終えるまで 9 年間もいたことになるのですが、今はその時に見えていたはずの大学の日常とはまったく異なった風景に囲まれているような気がしています。それが、今出川通りで隔てられた工学部と理学部の違いであるのか、10 数年の時間の隔たりによるのか、学生と教官という肩書きの違いによるものなのか、判然としません。


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