この4月から、益川さんが学生部長になられた後を襲う形で、物2の政池さんが評議員に就任されました。いちょうでは、政池さんに評議員になられての抱負を伺いました。
理学は本来リベラルアーツという側面が強く、色々な分野がありつつもお互いのやっていることをわかり合える関係になるのが理想だ。その意味で、現在の理学部は細分化マンモス化し過ぎている。難しいことではあるが、それぞれの分野にあまり狭くとらわれず、広く全体を見渡した学問ができる、全体としてワークできるような状況を作る方向で努力したい。
私自身、専門は“素粒子物理”であるが、フランスの Saclay にいたころは、Abragam (著書 Principles of nuclear magnetism は、核磁気共鳴の世界ではあまりに有名)と仕事をしていて、物性的なことにもいろいろ手を出していた。今も、プロトン偏極の実験は、物Ⅰの方との共同研究であるが、化学の広田教授の研究室の方々にも色々教えてもらっているところだ。
幅広い素養、いわゆる教養教育、リベラルアーツというのは必要だ。しかしこれまでの教養部のシステムでは、必ずしも成功していなかった面もある。したがって、理学部としてそれに代わるリベラルアーツを作り出す必要がある。実際、アメリカなどでは面白く、誰もが分かり、しかも有意義な講義が多い。われわれ理学部の教官の一段の努力が必要だろう。
また最近、卒業の必須単位が導入されている。従来の京大理学部の自由放任主義は、理想論としてはよいが問題があったと思う。この間の教育制度の改革を見ていると、学生諸君はそうした単位の出し方などに非常に敏感だ。したがって、必要単位の設定などで、かなり学生に勉強を促すことができる印象はある。しかし、東大のように点数でがちがちに縛るのもどうかと思う。とはいうものの、東大方式と(従来の)京大方式の中間に安定な平衡点があるのかどうかは、まだよくわからない。
私は「技官問題等検討ワーキンググループ」にも入っているわけだが、技術系職員の問題は大学の一番難しい問題の一つと認識している。高エネルギー物理学研究所などでは実質的な技官の組織(技術部)があり、自分たちで技術的な問題に主体的にとりくんでいくという面ができている。しかし、大学の技官は教官との1対1の関係になっていて、技術面、待遇面ともに将来への希望をもちにくい場合が多い。こうした状況を改善するには、理学部の技官を一体化して、工場、マシンショップのようなものを作っていくという案もある。また技術的に高度のレベルの開発を行うことも必要である。メンテナンスに類するルーチン的業務については、長期的に見て、非常勤の高齢者にお願いする方向も考えられる。ここ数年で理学部所属の多数の技官が定年退職を迎える。こうした問題もふまえて、技術職員に希望を与える方策をうちだすことは、新しい有能な人を獲得する上でも重要だ。
また最近、技官の専門行政職への移行が大きな問題になっている。私もワーキンググループに入ったばかりで、この話がどう落ち着くのかはよく分からない。しかしそれが単なる待遇改善にとどまるのでは寂しいと思う。
事務の合理化というのは、なにしろ長い伝統を背負っているわけで、たいへん難しい。しかし事務量は急速に増えており、合理化は必要だ。「合理化」という言葉は、しばしば人減らし労働強化の意味あいで使われるが、字義どおりの、新しい事態に対応した合理化をしなければいけないだろう。教室事務について言うと、系ごとに事務をまとめるような方策も考えられているが、こうした方策の是非については、現状を十分調べた上でないと現時点ではコメントできない。いずれにせよ、どうするのがいいのか、よく話し合って最良の方法を見つけていきたい。
私も評議員になるまで組合員だったわけだが、組合としても狭い待遇改善のレベルに閉じないで、理学部全体のことを見据え、自分の職場を生き生きとさせる立場からの活動が大切だと思う。
完全野放しはよくないが、がちがちに管理すると、社会に開かれた大学という面を損なうと思う。
東京出身
59年 京都大学理学部卒業後、名古屋大学助手。
この間パリ、ジュネーブ、ボンなどに客員教授・客員研究員として滞在。フランス語は「第3外国語」とのこと。
72年 高エネルギー物理学研究所の発足に参加、84年から京都大学理学部教授
趣味は山登りだそうですが、最近は時間がないので散策をするぐらいとのこと。そのかわり、科学が趣味だとか。