いちょう No. 99-6 99.10.7.

9月30日(木)、茨城県東海村の住友金属鉱山の子会社であるJCOの核燃料工場で臨界事故が発生し、作業員3人が深刻な被爆、350m圏は退避、10km圏は屋内待機という事態になりました。この事故について、化学の藤村さんに一般向けの解説記事を寄稿していただいています。


東海村の臨界事故

化学 藤村 陽

「臨界」とは・・・

報道を通して、一般にはなじみのない「臨界」という科学用語が、日本中を駆けめぐった。しかし、「さかい(界)」に「のぞ(臨)む」とは、ウランの核分裂がどんどん拡大していく事故の深刻さにくらべて悠長な感じである。英語のcriticalの意味からすれば、臨界(criticality)とは、「抜き差しならない状態」であり、「さかい(界)」はただの境目ではない。

ウランの原子核は陽子の数はみな92個で、中性子の数が違う「兄弟」がある。このうち中性子の数が143個であるウラン235(235とは陽子と中性子を合わせた数)は、外から中性子がもう1個当たると二つに分裂して大きなエネルギーを出す。この核分裂のときに中性子も2、3個放出されるので、これらの中性子がそばにある別のウラン235に当れば、新たな核分裂が起きる。天然ウランの99.3%は核分裂しにくいウラン238だが、ウラン235の量をある程度より高くすると、次から次へとネズミ算的に核分裂する原子核の数が増える。その結果、大きな熱が発生し、大量の中性子と放射性の核分裂生成物(いわゆる「死の灰」)が生まれる。今回の事故で、ウラン235の割合が高いウラン溶液を大量に装置に入れたことが問題となっているのはそのためである。この事故で、作業員や臨界を止める水抜きをした「決死隊」は主に中性子によって被曝した。

ウランの核分裂で生まれた中性子は、条件にもよるが10万分の1秒ほどの間に次の核反応を起こす。したがって1回の核分裂当りに発生する次の核分裂の数が1.0001倍になる(1万分の1増える)だけで、1秒後には核分裂の数は2万倍にもなってしまう。「臨界」とは、この非常にきわどい境目のことである。原爆は着弾後瞬間的に臨界を越えるように設計され、原発は臨界ちょうどで運転して一定量の電力を供給する。

原理はハイテクでも、結局は人間のやること

事故後の報道で、作業員に臨界の知識が乏しかったこと、核分裂しやすいウラン235の濃度が通常よりも6倍ほど高い今回の燃料の作業は2年振りだったこと、作業をしていた3人のうち2人はこれを扱うのが初めてだったこと、何年も前から組織的に規定外の運転を行なっていたことなどが明らかになってきた。確かにそのような間違いが重なりでもしなければ、起きないような事故である。しかし、原子力の原理がいかにハイテク的であっても、末端の部分は人間が関っている。人間の犯す誤りを0%にすることは不可能である。

誰かがこの規定違反に疑問をはさめなかったのかとも思うが、「原子力ムラ」と呼ばれる推進側内部の封建的な空気からすれば、難しいことかも知れない。しかし、そのような体質は、原子力推進が国策として有無を言わさず強引に進められていることと表裏一体である。そういう意味で、一燃料加工会社の問題として片付けられるものではない。何よりも、このようなズサンな操業が何年も続いていたことを放置していた政府の責任は問われるべきだ。

見直そう ―― 国策もわれわれの職場も

政府は、エネルギー需要が増え続けることをゆるぎない前提として、2010年までに20基もの原発増設を目論んでいる。しかし、現在の工業製品の重要な原料である石油は火力発電に使わなくてもいずれなくなるのであるから、大量のエネルギーばかり確保しても意味がない。もっと根本的な問題としては、現在の大量生産大量消費社会自体が問われている。いずれ右肩上がりの成長拡大を方向転換するのならば、早目に転換した方が後の世代の負担が軽いのは自明ではないだろうか。

我々も様々な試薬や装置を扱っており、「想定し得ない事故」が起こり得ることはよく経験するところであろう。今回の事故がこれまでの原子力関連の事故同様に「想定し得ない事故」として片付けられてはならないが、それと同時に、この事故を他山の石とすべきと感じた。


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