いちょう No. 95-20 96.3.28.

物理の加藤利三さんは、この3月で停年を迎えられます。この機会に、加藤さんから、永年にわたってその運営に携わってこられた京大の保育所について、ご寄稿いただきました。


京大保育所の30年

物理  加藤利三

ねがいを集めて生まれた保育所

“子供が生まれても安心して働き続けたい”という婦人のねがいと、子供の豊かな発達をねがう母親のねがいを集めて、西部構内の一角に共同保育所「朱い実保育園」ができたのは、昭和40年4月、31年前のことでした。土地・建物(プレハブ)は大学から提供され、職員組合が責任を持つ形で、保護者が中心になり、運営委員会が日常の運営にあたりました。私は初代の運営委員長をつとめました。その後「風の子保育園」が病院地区に設立され、さらに無認可保育所から、厚生省の認可を受けた法人がその経営にあたるようになり(昭和52年)、保護者、職員、職員組合の力を結集して、建物の自力建設を行い、地域にも開かれた保育園として今日に到っております。

生まれて30年、さらなる支援を

発足から30年、初期の保護者の子供さんが成人して保育者に加わり、またお孫さんも何人か入って来るなど、着実なあゆみを続けています。最近は、午後7時までの延長保育や、早期の保育希望など、多様な要求が増え、また年度途中の緊急入園や、留学生の子供さんたちの保育も行なうなど、さまざまな要求に応えるべく職員は精一杯努力をしています。一方、国や自治体の福祉切りつめなどで、保育園の運営も厳しくなってきています。職員には公務員並みに週休2日制を保障したいのですが、とても無理です。子供を持つ母親が働き続けることができるようにと、その底辺を支えている保育園職員も職員組合員です。私は社会福祉法人「樹々福祉会」の理事長をつとめて十数年になりますが、この3月停年退職に際して、改めて皆さんの保育園へのご支援をお願いする次第であります。


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