いちょう No. 99-9 99.10.28.

この9月17日~19日に岩手大学で開かれた、全大教の教研集会に1日だけ参加された、前「いちょう」編集長、化学の吉村洋介さんから教研集会の印象記をいただいています。


時雨の盛岡 ―― 全大教教研集会 (岩手)瞥見

化学 吉村 洋介

全大教の教研集会の2日目、「『組織運営体制の整備』と『独立行政法人化問題』」という分科会に参加してきました。夜行バスで9月18日の早朝盛岡に着き、分科会終了後、飛行機で戻ってくるという強行軍でした。今の国立大学をめぐる情勢が極めて険しく、少しでも今の状況をリアルに捉えることができたらと思ったのです。そうした状況を反映して、分科会には100人ぐらいの人が詰めかけ盛況でした。もっとも内容的には、情勢の険しさとはいささか遠いところがあり、最後20分というところで、たまりかねたように和田全大教委員長(名大)が事態の切迫性について発言され、それからいくつか鋭い発言が出たのですが時間切れ。ただしいくつか情報を仕入れることができたのは収穫かと思います。

国立でも困難は同じ? ―― ニュージーランドの経験

分科会では、京大から、大西副委員長が「国立大学を立命館大学にしてはならない」という報告、文学部の荒木さんが定員外職員の立場からの報告をされました。中でも島根大学の方から紹介されていた、ニュージーランドの大学の話は、いろいろ示唆するものが多いものでした。ニュージーランドではこの10年以上にわたって行政改革が進められ、日本の行革の一つのモデルとなってきました。ニュージーランドの国立大学は、そうした改革の中で設置形態が変わったわけではありませんが、そのありようを大きく変えたというのです。

その大きなポイントは、予算の給付の方式を、大学機関に対するものから、学生に対する奨学金・ローンの形に切り替えることにあったようです。1990年当時には、大学経費の97%が政府から支出されていましたが、この間、奨学金・学生ローンが拡充される一方、政府からの支出が7割強ぐらいにまでなったようです。市場原理の立場から言えば、こうすることで、大学は学生獲得のために教育の質の向上にこれ努め、学生はローンの元が取れるように一所懸命勉強するということのようです。

現在、日本の国立大学では国庫からの繰り入れが経費の6割という所ですから、ニュージーランドより「進んでいる」といえるかもしれません。ただニュージーランドでは、すでに学費が“自由化”されて「コース別授業料」が導入され、薬学部などではかなり高額の授業料を取っているようです。日本では今年、「授業料スライド制」が導入されました。次の授業料改定では、学部別授業料が導入されることがすでに合意されているとの報道もあります。これで大学ごとに学費を決めるようになれば、日本はニュージーランドを再び追い抜くことになるでしょう。

ここで注意したいのは、こうしたことは特に大学の設置形態がどうこういうこと抜きに起きるいうことです。独立行政法人になるにせよならないにせよ、こうした市場原理に基づく大学運営は行われうるし、現に授業料の問題がアクチュアルな課題として職組の中でも(中だから??)議論にならない現実は、そうした危険を如実に示していないでしょうか。ここのところを慎重に見極めながら、議論を進めなければならないと思いました。

北上川を眺めながら

朝、バスセンターに着いたのが早かったので、岩手大学まで時雨の降る中、歩いていくことにしました。北上川の流れに沿って歩いていくと、くすんだウグイス色の水が、渦巻きながら流れていきます。ぼんやり重い頭で、その渦巻く流れを見ながら、ホイジンガの「朝の影のなかに」を思い出していました。大学は「知的な営み」「文化」というものを、学生に伝えてきたはずではなかったか。そうした学生が大きくなって今、世の中を「生き残りをかけた競争」ということばが渦巻いて流れ、大学もそれに呑み込まれようとしている・・・。

「知ること」が「生きること」「生き長らえること」に呑み込まれていく。かって1930年代半ば、ホイジンガが痛烈に批判したのは、そうした「生の哲学」の一人歩きでした。若い世代(そしてわれわれ自身)の「理科離れ」「知離れ」が深刻な問題として語られる今、人間の在りよう、文化の在りようについて、もっともっと考え行動すること抜きに、大学の在りようを議論しても、それは事態の本質に届かないのではないか・・・。

この岩手の地では、かって宮沢賢治が「羅須地人協会」を組織しました。ぼくは彼の試みは、不毛に陥った「知る」営みを、身の丈の営みを通じて救い出す試みでもあったと考えています。手垢にまみれたまま、埃をかぶって神棚の隅に置かれているかに見える「学問の自由」「大学の自治」に再び命を吹き込むには、そうした作業、試みが余りにも欠けているように思えます。


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