一つ一つを取るとユニークで高度なアイデアと技術を集めたものとして「もんじゅ」があること改めて認識させられました。例えば、言われてみると何でもないことですが、金属ナトリウムの比熱が小さいことが、装置に与える熱衝撃を大きくすることに、ぼくは気づきもしませんでした。そのために、パイプの厚みを薄くし、通常の化学プラントなどとは違って、曲がりくねった配管をする必要があったというわけです。金属ナトリウムの物性の研究はもとより、配管の材料・形状などの最適化に関わる困難の大きさは計り知れないものがあります。1兆円といわれる、これまで高速増殖炉に投入されてきた金額の大きさが理解できたとともに、「常陽」「もんじゅ」を動かすために突破しなければならなかった、数多くの技術的な困難を克服してきた人々に、一人の科学者として、敬意を表したい気持ちを持ちます。
この一方、問題が困難で、それに対する技術的な解答が高度になるほど、システム全体の危うさ、脆さが大きくなることも、よくわかりました。12月のナトリウム漏れ事故が、それ自体は巧妙に作られたナトリウム漏れの検知システムをかいくぐって起きたことは、この意味で教訓的だったと思います。また講演の後の議論の中で、川野さんが、「今回の事故について、いろいろ技術的、手続き的な問題をあげつらう向きもあるが、それは結局の所、『起きてから言えること』である」と指摘されたのには、まったく同感です。実際、われわれ自身、「これなら絶対大丈夫」と信じて組み上げた装置やプログラムのトラブルに、どれほど悩まされていることか...そして「もんじゅ」ではそのトラブルが、1200 t の金属ナトリウムの流出・火災、そしてさらに恐ろしい核反応の暴走と連動するのですから大変です。
最後に、議論の中で、原子力学会などの“業界関係者”にまかせておいては事態は解決しないといった指摘や、世論、特に地元の声は圧倒的に現在の原子力政策に批判的になっていることの紹介がありました。原子力の“余慶”に浸っている形のわれわれに、何かできることがないかと考えさせられます。