いちょう No. 95-14 95.12.21.

12月16日(土)昼、教員部会の任期制についての学習会が理学部2号館で開かれました。講師の益川氏は任期制のあった研究機関を歴任するなか、任期制守るべしとの立場で来たので、組合の学習会だが、断固絶対反対とは少し違った立場から話をされた。以下は藤村さん(化学分会)による、そのまとめです。


「大学教員への任期制導入は何をもたらすか(2)
-すでに任期制を導入している研究所では...-」報告

化学  藤村 陽

基礎物理学研究所は、研究を行う上で突出して恵まれた環境である共同利用研という特殊性から、良い人材が激務をこなせる間、順繰りに在任するといった考えで、全ての教官に任期制がとられた。ただし任期といっても「5年±2年」といった具合に幅を持った努力目標であって、もっと残る人はやはり出る。今日まで紆余曲折はあったが何とか維持している。名古屋大学では理論・実験ともに助教授以下に任期制がとられたが、だんだん守れなくなって形骸化してきた。

任期制を持つ所は公開された人事を行う、内部昇格は良くない(同じ程度の実力なら外部の人を選ぶ)というスタンスである。また天皇を作らないといった意味もある。益川氏の分野では反任期制論者は、「バカに開放する必要はない。我々だけでやる」という考えの反民主勢力であった。そして任期制の良かった点としては、任期制の研究機関での人事を引き金に全国の研究者が動き、人事交流の触媒として働いた点が挙げられる。

それでは実際に任期制が制度として全ての国立大学で実施されたらどうなるかというと、任期更新が日常的になり形骸化して腐敗する。そもそもよそから声が掛かって移れる人はごく少数で、地方大学では教育だけを熱心にやっている人達は沢山いる。そういう人達全て出て行けとはならない。そして任期を更新する人が出れば「あの人が動かないのに何故オレが」となって人事交流は余計に起きない。そして本来の目的としては機能しない代わりに、切れる刃物として残って、政治的な道具として使われたりする。

結局、任期制は制度として行われるべきものではなく、研究者が自分達の研究を活性化していくために自分達の努力目標として、自分達で守っていく文化という形でなければうまくいかない。また任期制が導入されればより教育に目が行かなくなる。内部昇格のチェックと公募制が公平厳正に行われれば人事交流は十分に行われるはずである。


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