いちょう 96年度特別号 97.5.29.

「大学教員任期制法案」が、さる5月22日衆議院を通過し、参議院で今、審議が始まろうとしています。
理学部支部では、衆議院文教委員会での「任期制法案」の審議の傍聴に、これまで3人の人が出向き、状況の把握に努めてきました。そういう中で、今回の「任期制」が、われわれが期待するものとは程遠いことが、いよいよはっきりしてきました。ここでは、傍聴した人の見聞記、教員部会での議論をもとに問題点をまとめて紹介します。(ここで紹介できない、労働法制とのかかわりなど、詳細は理学部支部のホームページを参照ください。)


この「任期制」はやめてくれ!   衆議院での審議で見えてきたもの


☆“鬼”に“金棒”の法制化 ――― 「法的に安定な任期制」

「なんで法律にしなきゃいけないの?」

これは、任期制法制化に対する、われわれのもっとも素朴で、また重要な論点であったと思います。

文部省は質疑の中で、「法的に安定な任期制」でなければならないことを、繰り返し強調しました。これまでの「紳士協定」では、任期付き教員が反抗したら、やめさせるのは難しいというわけです。

しかし、任期を付けられている者は、たいていの場合、勤務条件を決定できる立場にはなく、よほどの決意を持たない限り、少々理不尽な話でも呑まざるをえません。法律に訴えることが、雇われた側の最後の抵抗の手段であり、「法律では、負けるかもしれない。」そのことが、当局側の傍若無人な人の使い捨てに待ったをかけてきたわけです。大学で、非常勤職員がいかに弱い立場にあるかは、最近のセクハラ騒動でも、話題になったところです。任期で人の首を切ることを合法化する法律を作ることは、この意味で“鬼”(管理者)に“金棒”(合法性)を与えるものになります。鬼に金棒を持たせて「活性化」させた時、下手をすると、人が嘆き叫んで走り回るのを「活性化」と称することになりかねません。

☆やらずぼったくりの任期制 ――― 任期がついても仕事は同じ。

「任期付き教員と、任期のない教員で、職務内容は同じ。」

このことは、審議の中で文部省が一貫して強調したことです。任期付き教員が退職金の点で大きな不利益を被ることは、審議の中で文部省も認めました。将来の不安と、経済的な不利益を背負っていても、職務内容は同じ。「任期付き教員に特別の待遇をしない」のです。これは、先にわれわれが指摘した、「ポスト増がない下での任期制の導入は、任期のない教員の負担増になる」(いちょう号外No. 3 、97年5月16日)という問題に対する、文部省なりの解答なのでしょう。つまり、「任期のない教員のみなさん、ご安心あれ。任期付き教員にも、働かせますから。文句をいったら、そんな生意気なやつは首にしていただいて結構です」というわけです。任期付き教員にしてみれば、まさに「やらずぼったくりの任期制」です。この点についても、質疑が行われましたが、文部省は「今後検討」と繰り返すのみでした。

こうしたアンフェアな主張が教育研究の「現場」で通るはずはありません。そうした時、やはり弱い立場の助手・助教授にいろんな負担がかかってくることは明白でしょう。文部省が、「今後検討」といっている中味が、ポスト増、予算増をともなわないかぎり、その内実は、きわめてお粗末なものにならざるをえません。

☆後生、畏るに足らず ――― 助手ならいいじゃないか

「助手なら任期を付けたっていいじゃないか。思考の柔軟なうちに移動するのは、結構なことだ。」

審議の中で、文部省にも質問する議員の側にも感じられたトーンはこれです。法案でいう「研究助手」とは、「教員と同じ仕事をしている助手」であることは、はっきり文部省からも表明されました。

しかし、思考が柔軟だから、わざわざ任期制なんぞがなくても、自発的に移動するのです。むしろ、年齢を重ね、思考が固まっている人々を、制度的に流動させるところに、任期制というシステムを持ち込む意味があるのではないでしょうか。これは、新しい学問分野に門戸を開く意味からも重要です。

「少々待遇を悪くしたところで、実態を見れば、研究者離れは懸念におよばない」

とも、文部省は答弁しています。今の院生・学生を見ていて、こうした楽観的な観測を語れる人は、理学部にどれぐらいいるでしょう。実際、実験系で博士課程の進学率の低下が話題になる昨今です。この若い力が萎えてきているところに、今の大学の一番の問題があり、だからこそ教育改革が熱心に議論されているのではないでしょうか。

後生畏るべし。われわれは後進に、道を開いてやるべきであって、ハードルを高くし、いたずらに彼らを試みるようなことはすべきではありません。若い時の苦労は無駄にはならないかもしれません。だからといって、彼らだけに重荷を背負わせるのは、われわれ、すでに職を得ているものの傲慢とそしられても、やむをえません。

☆強制はしないよ。絶対...

任期制導入を期待はするが、新学部・研究科の設置の条件にしたり、財政誘導の形で強制しないことを、文部省は繰り返し強調しました。しかし審議の中で、委員のだれもそれを信じていないのは、滑稽なほどでした。これは、付帯決議の1番で「いやしくも大学に対して、任期制の導入を当該大学の教育研究条件の整備支援の条件とする等の誘導などを行わないこと。」という形で、念押しされています。しかし、この付帯決議の拘束力がいかなものかは、はなはだ疑問です。

☆後は野となれ ――― 大学がなんとかするよ。ぼくも暇な時に考えてみるし

「任期制を制度として開くことが先決。」

議論が苦しくなると、文部省が出してくるのがこの話でした。

そして何かというと「選択的任期制」、つまり任期制を採用するかしないかは、大学が決めることだというのが、さかんに持ち出されました。たとえば、職場開拓など、任期満了後のケアについては、大学の努力すべきこと。また、任期制のなじまない装置開発などで息の長い仕事についても、そのサポートは大学の努力に待つ。教育の軽視が進むという指摘には、大学が教育評価をやるから大丈夫。教員の流動化が進んでいない最大の原因である、大学間格差については、各大学の努力による多様化・個性化で解消する。といった具合です。

そして、40年近くにわたる宿題である助手の法的扱いなど、自分が考えねばならないことについては、「検討課題」の連発。まさに、後は野となれの世界です。

50才の参議院に期待する

今年で参議院は、50周年を迎えました。衆議院のカーボンコピーなどと悪口もあるようですが、解散がなく、その時々の時流(大学教師はグータラばかり etc)に流されない、長いタームを見渡した判断の可能な場所のはずです。参議院での良識ある審議・決断に期待します。


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