いちょう 97-23[98.02.12]
法学部の村中孝史教授の1月31日(土)に行われた教研集会での話は、聴衆に大きな感銘を与えました。いちょうでは、自らも教研集会の基調報告を行った化学の藤村さんにお願いして、村中さんの話をまとめて紹介していただきました。

雇用期間と労働者の待遇

法学部 村中孝史さんの話
(化学 藤村陽さんのまとめをもとに再構成)

非正規労働者のおかれている立場

日本の労働問題をめぐっては、いま労働基準法の改定など様々な問題がありますが、今日は、中でも大きな問題である非正規労働者(パート労働者)の問題についてお話しします。この問題は、最近の企業の人事政策では周辺的なものから中心的なものになってきています。

会社の側から言うと、正規労働者(正社員)は流動できないので少数に絞りたい。「高い賃金をやるから裁量労働制で死ぬまで働け」というのが最近加速している流れです。そして残り多数を非正規労働者でまかなう。それも直接雇うのではなく下請業者が雇っていることが多いのです。

ここで注意しないといけないのが、組合の役割です。正規労働者の組合の組織率は低下してきていますが、それでも組織率25%という数字は、欧米と比べて低くありません。一方、非正規労働者は全く組織されていないのです。現在の労働法では、労働者は組合を通して、集団として経営者と対等な交渉力を持つことになっています。労働時間や諸手当などについて、労働基準法(労基法)などに定められる労働条件(昔は標準的な条件でしたが、段々最低条件になってきています)よりも良い条件は、組合の団体交渉で勝ち取ることができます。これは逆に言えば、組合が無ければ最低条件で抑えられてしまうということです。したがって組織されていない非正規労働者の権利が守られない。

非正規従業員の待遇の主要な問題点は、期限付き雇用と賃金格差です。きょうは、これらについて裁判所も助けにはなってくれないという事情を述べたいと思います。

雇用期間 ――― 不当拘束の防止か、解雇の自由か ―――

雇用期間については、民法と労基法で、書いてあることに少し違いがあります。民法では、期間の定めのない雇用(定年まで勤めるパターンはこれ)の場合、雇用者か労働者のどちらか一方がやめたくなったらいつでもやめられます。期間の定めのある場合、期間中はどちらからもやめられず、契約期間満了で自動的に終了とみなされます。ただし、昔のいわゆる丁稚奉公のような不当拘束はマズイので、民法では5年以上の期間を定めた雇用はできません。戦後の労基法は更に短縮して1年以上の期間を定めた雇用はできないようにしました。これを3年にしようというのが最近の動きです。

昔は不当拘束されないという意味で、期間の定めのある方が、働く者にとって(少なくともその期間は)有利でした。ところが、組合の長年の運動もあって、今では、期間の定めのない場合、解雇はよほどのことがないとできないというのが裁判所の態度です。期間の定めのある場合は、期間中は拘束されるし、期間が来れば放り出されるという点で逆に不利になっています。パートにとっては、不当拘束よりも、期間満了で自動的に契約を解除される方が、現実には大変な問題です。

期間の定めがある場合でも繰り返し契約すれば、多少は保護されます。しかし、現に京大でもやっていることですが、雇用者側が契約更新毎に契約書を作っていれば、解雇制限は適用されません。

そもそも期間をつけるのが許されるのかというと、ヨーロッパでは期間付き雇用に制限があります。日本の裁判所にはそういう発想はありません。雇用の保証をキチンと考えていないんですね。いわば景気の調整弁としてパートが解雇される、その企業の実務を追認しているわけです。

賃金格差 ――― 同一労働同一賃金の法規定はない ―――

日本では実際にはパートが正社員と同質な仕事をしている場合が多いのに、その賃金格差は約2倍と大きくなっています。よく誤解している方がおられますが、日本では「同一労働同一賃金」の法規定はありませんし、裁判所も認めていません。ただし、少しずつ風向きは変わってきていて、企業は、昔は「パートは安くて当然」と言っていたのですが、最近では「正社員なら配転の義務がある」と言って逃げようとしています。

ヨーロッパでは、仕事の格付けだけで賃金が決まっているので、同一労働同一賃金となっています。一方、日本的な年功的賃金は「同一労働同一賃金」の原則に反するわけで、同一労働同一賃金を実施するには、正社員の賃金体系を根本的に改めないといけなくなります。会社全体の人件費を増やせないならば、「同一労働同一賃金」は正社員の賃金が下がってパートが上がるということにならざるを得ません。このことをどう見るかですが、これには私たちの社会のありようが、問題になってきます。これまでは一家に一人は正社員がいた時代でした。そして賃金というのは、その人の労働の対価というだけでなく、その家族などにも配慮したものでした。それが、奥さんがパートで働きに出、さらに旦那さんもパートという状況が増え、これが段々崩れそうな傾向にある。そうなるならば、同一労働同一賃金にすべきではないか。

二年前にあった、長野の丸子警報機という会社での事件の判決では、人格の価値は平等ということで、正社員とパートがほとんど全く同じ仕事をしている場合において、正社員の8割を下回る賃金は公序良俗に反し違法という画期的な判決が出ました(8割なら良いのかという問題はあるが)。ここでは、同一労働同一賃金ということが法に無くても、人は労働に対して等しく報われねばならないというのが市民法の普遍的な理念だと述べられています。この判決に批判的な労働法関係者も多いのですが、私はこの判決を大変評価しています。

さいごに ――― 法はつくるもの ―――

今日は、「要求の基本原則を法律の面から確認しよう」ということで、私の話に期待されたかと思います。けれども、それでは、ここまでお話したように、裁判所もあまり助けにはならないという、組合にとっては残念な話になってしまいます。

そもそも労働法は組合が作ってきたものです。法律に助けてもらおうというのは組合退潮のしるしと言わねばなりません。組合の運動のあり方として、私たちが確認すべき基本原則として「法がないなら、組合が法を作る運動をする」ということを強調して、話を終わらしていただきます。


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