いちょう No. 97-11 97.11.11.

97 総長選挙インタビュー

尾池 和夫 理学部長

[基本的視点]

京都大学は今年で100周年を迎えた。100年といっても一人の人間が1/3以上の歴史を見られる程度の長さでしかない。一方ヨーロッパの大学は数百年の歴史がある。京都大学も、これからの数百年の歴史を作って行く出発点に立ったにすぎない。新しいものを取り入れていくことはもちろん大切だが、学問の伝統を守っていくことも重要である。またそれを取り巻く社会について言うと、アメリカやヨーロッパでは、功成り名遂げた個人が、その資産を学問のために使って欲しいと差し出す文化がある。日本では、社会が文化的なものにお金をかけるというところまで成熟していない。

総長には、教育・研究の基盤を守り、大学をどうして行くのか積極的に考え発言できる人を望む。指導力が問われるテーマについては、指導力を発揮できる人物が望ましい。新しいことも必要だが、それだけの人では困る。ただ、今の大学に対する世間の批判を無視するのではなく、ちゃんと受け止めてひとつひとつ答えていく他はない。

[当面の課題]

エージェンシー化は議論が国の財政危機の解決を出発点にしており、教育研究をより良くするための制度改革という視点に欠ける。今の提案は、考え方そのものではなく議論の経緯、社会の成熟度の両面から良くない。

任期制は、理学部は十分人事交流があり必要ない。“京都大学では短期間に成果の上がるメリットのはっきりした特殊なケースだけに任期制を限るべき”というのが部局長会議などでのだいたいの合意になっており、わたしもそう考える。

第三キャンパスは、場所の選定が教育研究にベストとなるよう考えるべきで、基本的理念を忘れて決まりやすいやり方で決めてしまうというのでは困る。

学長権限の強化が最近言われている。けれどもいまの部局自治をもとにした大学運営のあり方は大学の動きを鈍くしている面はあるが、それほど欠陥を感じてはいない。

全学共通科目をめぐる現在の議論は、ポストがらみの議論になっている。本来理想の「教育」が先にあって、ポストが付いてくるべきで、その意味で今の議論はおかしい。

事務合理化は、時代の流れなので上手にやって欲しい。ただ合理化した分だけ人減らしをされるのでは困る。合理化した分を現場での研究教育の支援に回すということでないと。

(文責:井川、山田)

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