世の中全般に不透明感が広がっている時だけに、社会に対して、大学の存立の意義を正面きって訴えられるような人が望ましい。特に、短期的に何かの役に立つというのではなく、学問それ自身の意義、人間を豊かにするという側面を、もっと強調するような方向での訴えかけを望みたい。しかし、今の選挙制度は、その人の主張を聞いて選ぶというのではなく、候補者の学部で選ぶに近いシステムになっているので、そうした人が出にくいのは残念だ。
客観的な評価基準を導入して、大学を活性化させようという動きがあるが、そうした動きには賛成できない。客観的な評価、いわば市場のメカニズムに乗るような学問は、すでに終わった学問というべきである。独立行政法人化についても、財政的にやっていけないということ以上に、3年ごとに外部からの評価に基づいて研究計画の見直しを行うということが、学問と相容れないと思うので反対である。総長になられる方にも、そう望みたい。
任期制について、こと数研について言うなら、私は反対だ。任期制の導入は各部局ごとに判断すべきものであり、横並びであったり、予算措置などで誘導するようなことがあってはならない。最近、学長のリーダーシップの強化が騒がれている。リーダーシップは重要だが、いわゆる機を見るに敏な人物、文部省の動きに合わせて、各部局の事情をないがしろにして、突き進むような人物は感心できない。各部局の自主性を尊重して、対外的に言うべき事を言ってくれる、そういう人を望みたい。
学部教育を忘れて、大学院さえ充実させればいいというのはとんでもない話だ。やはり学部の上に、大学院があるということを忘れてはいけない。留学生と日本人学生をいっしょに講義を受けさせるという試み(KUINEP)など、もっといろんな試みがなされてよい。また大学までの教育に、どこまで大学が関与すべきかは慎重に判断する必要があるが、高校の指導要領の改訂などにも関心を示す、総長であってほしい。
集中化が即ち、合理化、省力化にはならない。本部とのやり取りで手間がかかって、かえって全体の仕事が煩雑になってしまう場合がある。総長には、スローガンに惑わされず、仕事の実態をよく見極めて、的確な判断を下せる人が望ましい。