このところ科学と社会のあり方について意欲的に考えてきたが、国から給料と(分野によっては莫大な)研究予算を貰って営まれている現在の「科学」が、このまま右肩上がりで続いていくと思ったら大間違いだ。しかしそのことに大学の人間は殆ど気づいていない。我々は、自分たちとは違う世界と、もっとコミュニケーションを取るべきだ。 大衆にも目線を下げて、役に立たないことをやっていることの意味も含めて、科学を語りかけていかねばならない。
大学とは、社会的賢明さや知識を作るところである。中にいる人間は、科学とは何であるか、社会との関わりはどうあるべきか、そういったことを常に考え、自分たちの手で大学を変えていかねばならない。そういう意識と行動が総長に求められるかと思う。単純な財政問題から民営化や独立行政法人化を外から押しつけられても、百年の計を誤るだけだ。我々は、もっと積極的に、改革案を手に打って出るぐらいの自信を持っているべきだ。
任期制そのものに、基研の任期制を自ら維持してきた者として、私は反対ではない。しかし、今回法制化されたものは、それとは違ってプロジェクトと助手だけとか、適用が非常に限定された中途半端なものであり、やらない方がマシな代物だと思う。
総長のリーダーシップだけで何かを決めていくのは、京都大学のような総合大学では、非常に難しい。大学は優秀な人が集まっているのだから、構成員が常に自覚的に変革を行っているべきで、とびきり優秀な人が総長になって舵取りをするのは、かえってためにならないかも知れない。
第三キャンパス移転を行うなら、うまく分けねばならない。出ていく方には何らかのプラスアルファは付ける必要があるだろう。しかし、誰が移転を強制しているものでもなく、そういう拡張をしないという選択肢もあるだろう。
学部教育の現状は良くない。もっとちゃんとやらなければならない。今のマンパワーできめ細かくやるには、色々と工夫が必要なのにそうした議論が足りないのではないか。
総長がよく出ている学部は、やはり熱心なのだろうし、総長が出れば、母体となった部局に有利なこともやはりあるだろう。選挙制度については、第一次候補者が選ばれた後、時間をおいても暗躍があったりするわけで、そんなことをしなくても、大学教員は自覚的な存在であって良い人を選べるんだという前提を大事にしたい。