4.ポルトランドセメントは18世紀~19世紀ごろに発明され、 今日では世界で年間数十億 t も製造される、量的には最大の化学工業製品といえる。 ポルトランドセメントは、粘土と石灰石等を調合・焼成してクリンカー(clinker)と呼ばれる塊にして、 これに石膏を混ぜて粉砕・混合して製造される。 クリンカーの主要な成分はエーライト(alite)3CaO·SiO2、ビーライト(belite)2CaO·SiO2、 アルミネート相(aluminate phase)3CaO·Al2O3、 フェライト相(ferrite phase)4CaO·Al2O3·Fe2O3の4成分であると考えてよく、 中でもエーライトとビーライトが大きな割合を占める。
4-1.クリンカー中の酸化カルシウム CaO、シリカ SiO2、アルミナ Al2O3、酸化鉄 Fe2O3 の質量比を それぞれ m(C)、m(S)、m(A)、m(F)としよう。 クリンカーがエーライト、ビーライト、アルミネート相、フェライト相のみからなるとした時、 それぞれの質量比をm(C)、m(S)、m(A)、m(F)で表わせ(ボーグ Bogue の式)。
4-2.あるポルトランドセメントを分析したところ質量分率が、 酸化カルシウム CaO:65 %、シリカ SiO2:23 %、アルミナ Al2O3:3.6 %、 酸化鉄 Fe2O3:4.3 %であったという(残り4 %は硫酸塩等)。 エーライト、ビーライト、アルミネート相、フェライト相の質量比を推定せよ。
4-3.クリンカー中のエーライトは水と混ぜることで 水酸化カルシウム Ca(OH)2 とおおむね 3CaO·2SiO2·4H2O の組成を持つ ほとんど非晶質(ゲルと考えてもよい)のケイ酸カルシウム水和物(C-S-Hと表記される)を生じる。 エーライトと水をどのような質量比で混合すると過不足なく反応が進行するだろうか。
4-1.
分子種 X の物質量を \(n_{\rm{X}}\) と書けば、次の関係が成立する(エーライト等を生成する反応の反応進行度を考えればよい)
\begin{equation} \left( \begin{array}{cccc} 3 & 2 & 3 & 4 \\ 1 & 1 & 0 & 0 \\ 0 & 0 & 1 & 1 \\ 0 & 0 & 0 & 1 \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} n_\rm{a} \\ n_\rm{b} \\ n_\rm{al} \\ n_\rm{fe} \end{array} \right) = \left( \begin{array}{c} n_\rm{C} \\ n_\rm{S} \\ n_\rm{A} \\ n_\rm{F} \end{array} \right) \end{equation}
したがって、エーライト等の”セメント化合物”の物質量と、酸化カルシウム等の物質量の間には、 逆行列をとって次の関係が成立する。
\begin{equation} \left( \begin{array}{c} n_\rm{a} \\ n_\rm{b} \\ n_\rm{al} \\ n_\rm{fe} \end{array} \right) = \left( \begin{array}{rrrr} 1 & -2 & -3 & -1 \\ -1 & 3 & 3 & 1 \\ 0 & 0 & 1 & -1 \\ 0 & 0 & 0 & 1 \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} n_\rm{C} \\ n_\rm{S} \\ n_\rm{A} \\ n_\rm{F} \end{array} \right) \label{eq:invmat} \end{equation}
物質量を質量に変換するには、対角要素がモル質量であるような対角行列 \(M_{\rm{X}}\)(対角要素がC、S、A、Fのモル質量)と \(M_{\rm{Y}}\)(対角要素がa、b、al、fe のモル質量)とを考える。 分子種 X の質量を \(m_{\rm{X}}\) と書けば、それぞれの物質量と質量の関係は次のように書ける:
\begin{equation} \left( \begin{array}{c} m_\rm{C} \\ m_\rm{S} \\ m_\rm{A} \\ m_\rm{F} \end{array} \right) = \left( \begin{array}{cccc} M_\rm{C} & 0 & 0 & 0 \\ 0 & M_\rm{S} & 0 & 0 \\ 0 & 0 & M_\rm{A} & 0 \\ 0 & 0 & 0 & M_\rm{F} \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} n_\rm{C} \\ n_\rm{S} \\ n_\rm{A} \\ n_\rm{F} \end{array} \right) = M_{\rm{X}} \left( \begin{array}{c} n_\rm{C} \\ n_\rm{S} \\ n_\rm{A} \\ n_\rm{F} \end{array} \right) \end{equation}
\begin{equation} \left( \begin{array}{c} m_\rm{a} \\ m_\rm{b} \\ m_\rm{al} \\ m_\rm{fe} \end{array} \right) = \left( \begin{array}{cccc} M_\rm{a} & 0 & 0 & 0 \\ 0 & M_\rm{b} & 0 & 0 \\ 0 & 0 & M_\rm{al} & 0 \\ 0 & 0 & 0 & M_\rm{fe} \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} n_\rm{a} \\ n_\rm{b} \\ n_\rm{al} \\ n_\rm{fe} \end{array} \right) = M_{\rm{Y}} \left( \begin{array}{c} n_\rm{a} \\ n_\rm{b} \\ n_\rm{al} \\ n_\rm{fe} \end{array} \right) \end{equation}
したがってエーライト等の質量は次式で与えられる:
\begin{equation} \left( \begin{array}{c} m_\rm{a} \\ m_\rm{b} \\ m_\rm{al} \\ m_\rm{fe} \end{array} \right) = M_{\rm{Y}} \left( \begin{array}{rrrr} 1 & -2 & -3 & -1 \\ -1 & 3 & 3 & 1 \\ 0 & 0 & 1 & -1 \\ 0 & 0 & 0 & 1 \end{array} \right) M_{\rm{X}}^{-1} \left( \begin{array}{c} m_\rm{C} \\ m_\rm{S} \\ m_\rm{A} \\ m_\rm{F} \end{array} \right) \end{equation}
実際にモル質量を代入して計算すると、結果は次のようになる。
\begin{equation} \left( \begin{array}{c} m_\rm{a} \\ m_\rm{b} \\ m_\rm{al} \\ m_\rm{fe} \end{array} \right) = \left( \begin{array}{rrrr} 4.07 & -7.60 & -6.72 & -1.43 \\ -3.07 & 8.60 & 5.07 & 1.08 \\ 0 & 0 & 2.65 & -1.69 \\ 0 & 0 & 0 & 3.04 \end{array} \right) \left( \begin{array}{c} m_\rm{C} \\ m_\rm{S} \\ m_\rm{A} \\ m_\rm{F} \end{array} \right) \end{equation}
4-2.
与えられた質量比を代入すると、次のようになる
4-3.
C ≡ CaO、S ≡ SiO2、H ≡ H2O と略記すれば、 エーライトは C3S、ケイ酸カルシウム水和物は C3S2H4と書け、 エーライトの水和の反応式は次のようになる:
2 C3S + 7 H → 3 CH + C3S2H4
したがって物質量は 2 : 7 で反応し、質量比は 3.62 : 1 となる。
セメント、コンクリートは、極めて重要なありふれた化学製品でありながら、 学校の化学ではほとんど取り上げられません。 ぼく自身、セメントがどのように作られ、成分が何であるのか。 そもそもなぜ固まるのかを、あまりよく理解していません。 でもこうした大事な問題について触れる機会を学生さんに与えることは重要だと思い、 本で読んだ知識をもとに、 ボーグ Bogue の式に関わる問題を構成してみました。
セメント(ポルトランドセメント)のクリンカーの主要構成物質は、 問題文にも出したエーライト、ビーライト、アルミネート相、フェライト相の4成分です。 セメント科学の分野では それぞれ C3S、C2S、C3A、C4AF と略記されます。 ここで C ≡ CaO、S ≡ SiO2、A ≡ Al2O3、 F ≡ Fe2O3 です。 ここで「アルミネート相」「フェライト相」と呼ばれるのは、 組成が確定できないことを暗に示しています。 特に「フェライト相」は固溶体になっていて、組成にかなり変動があり、C4AF というのは、 その代表的な組成に相当します。 なおセメント(クリンカー)組成の5割以上を占めるエーライト C3S は、室温付近では準安定状態にあるようで、 分解してビーライト C2S と酸化カルシウム C になった方が安定のようです。
セメントが固まるのは、これらセメント化合物は水和するためで、 アルミネート相 C3A は水との混合直後から急速に、 エーライト C3S は水との混合後、温度にもよりますが2~5時間して水和が始まり、 反応が加速した後、減速に転じます。 フェライト相 C4AF の水和、 ビーライト C3S の水和にはさらに時間がかかり、 全体としては数か月、数年たってもこうした水和プロセスは続くようです。 生コンがすぐに固まらず現場でコンクリートを打った後で固まる、 あるいはその後「養生」したりするのは、 この水和プロセスが絡んでいるのです。 なおアルミネート相 C3A が急速に水和しセメントが硬化するのを防ぐため、 通常、石膏(硫酸カルシウム)がクリンカーに添加されています。
この問題で取り上げたクリンカーを作る際の原料 (C, S, A, F) の組成比と、 そこから生成されるセメント化合物 (C3S, C2S, C3A, C4AF) ≡ (a, b, al, fe) の組成比の関係はボーグ Bogue の式として知られるものです。 この問題、「算数」的に、一つ一つ組成比を出していくアプローチでも悪くはありません。 たとえばすぐに、F と C4AF の物質量が等しいことは分かりますし、 F と A の物質量の和が C3A と C4AF の物質量の和になることが分かります。 でもそれから先、C3S、C2S が出てくると、 ちょっと面倒になってきます。 解答例では、かなり形式的に行列・ベクトルを使って導出の過程を記述してみました。 こうした見通しの下、 計算を進めた方がまちがいなく答えにたどり着けるものと思います (逆行列を公式で余因子など使って求めると、計算自体は「算数」的にやるより大変ですが)。 また式 \eqref{eq:invmat} を見てもらうと、 行列要素が整数値できれいに整っています。 事情はよく分かりませんが、 こうなるようにフェライト相の組成 C4AF を設定したようにも思えます。
なおこの計算で対角要素がモル質量の行列が出てきて面倒だと思う人もいるでしょう。 テンソルを使えばもっと記法は簡単になるわけですが、 まあそれはまた別の機会にでも・・・
エーライトの水和生成物については、いろいろ検討されています。 結晶性の低い「ゲル」と呼ばれるものになり、 最終的にはアフィライト(Afwillite)C3S2H3 あたりに落ち着くようですが、 ここでは少し水の多い組成 C3S2H4 であるとして、 混合比を評価してもらいました。