ベンゾフェノンを光還元してベンゾピナコールにし、ピナコロン転位によってベンゾピナコロンを得る。 また簡単な還元反応を行い、赤外スペクトルの典型的な特性吸収帯を知る。
光エネルギーを受け取って分子は活性化し、さまざまな化学反応を示す。 植物の光合成は光化学反応のよく知られた例であるが、ここでは有機分子が光を吸収することで、 他の分子から水素を引き抜いて還元される例を取り上げる。
光を吸収して励起状態になったベンゾフェノンは、ビラジカルとしての性質を示し、 他の分子から水素を引き抜きやすいことが知られている(三重項状態)。 そして水素引き抜きで生成したジフェニルヒドロキシルメチルは、ただちに会合してベンゾピナコールになる。
カルボカチオンやラジカル分子では、炭素骨格の組換えが起こることがある。 ここではそのよく知られた例であるピナコール転位を取り上げる。 この転位反応では中間に生成するカルボカチオンがR2C+-OH型のカルボカチオンに転移する。
有機化合物はいくつかの強固に結合した原子団が、比較的弱く結び合わされてできているものと考えることができる。 そのためそれぞれの原子団をほぼ独立であるかのように扱え、原子団の特徴的な振動数から、 分子中にある原子団を推定することができる。 通常カルボニル基 C=O は1650 cm-1~1750 cm-1 付近に鋭く強い、 水酸基 OH は 3000 cm-1~3500 cm-1 付近に幅広い吸収を示すので、 赤外スペクトルはカルボニル基や水酸基の有無の判定によく用いられる。 2C-3で取り上げるショウノウを還元してボルネオールにする反応では、この赤外スペクトルの変化が明瞭な形で見て取れる。
赤外スペクトルは官能基を検出する強力な手法だが、注目する原子団の置かれた環境によってスペクトルが大きく変化する場合があり、 特に水酸基については注意を要する。 今回取り上げるベンゾピナコールでは、分子間の水素結合が微弱で、水酸基の吸収は 3550 cm-1付近に中程度の吸収として現れる。
この実験課題では、 有機合成に挑戦し、 赤外吸収スペクトルで官能基の示す特性吸収を調べてもらうことになります。 この実験課題中、光還元・ピナコロン転移の課題は、 入門化学実験の発足時から、中2年の休止期間があったものの (2011年度に前後期実施することになり、日程調整の関係で休止。 2013年度に学生実験用の nmr 装置が使用不能状態になったため急遽復活)、 現在まで実施してきました。 ショウノウの還元の実験は、 2014年度から始まって今も続いています。
ベンゾフェノンの光還元とピナコロン転移の実験は、 K. L. Williamson, R. Minard and K. M. Masters, "Macroscale and microscale organic experiments," 5th ed, Chap. 62, Houston Mifflin 2007 を参考に設計しました (すでに Fieser の"Experiments in organic chemistry" の1941 年の第2版に記載アリ)。 少ない手順で興味深い反応が経験でき、 また官能基の変化を、赤外スペクトルで調べるには恰好の材料だと思っています。 ショウノウを金属ナトリウムで還元してボルネオールにする実験は、 光照射の空き時間にはまる課題として2014 年度から導入しました。 この課題はぼくの高校時代の愛読書だった木村清三「香料化学」増補版、共立 1969 に想を得ました。 和装品の防虫剤のショウノウをボルネオールに還元して、 典型的なカルボニル基と水酸基の赤外吸収に触れてみようというわけです。 このショウノウやボルネオールなどのテルペンの化学は、 古典的な転位反応の研究の主要な舞台でもあり、 またテルペンというもの自体に触れてもらう機会になればと思っています。