さる3月23日、自民党文教部会の文教制度調査会に置かれた教育改革実施本部の中の高等教育研究グループ(麻生太郎氏が委員長。ちなみに麻生氏は吉田茂の孫で、オリンピックに射撃の日本代表で出たこともある)が、国立大学のあり方についての提言(案)を発表しました(全文はhttp://www.asahi-net.or.jp/~bh5t-ssk/net/nethefo739.html 参照)。この提言(案)について、化学の吉村(洋)さんにコメントを寄せていただきました。
まだよく読んでいないのですが、この自民党の高等教育研究グループの提言は、国立大学の理念などについては一昨年の大学審議会「21世紀の大学像」答申を大筋で踏襲し、それを実現するために「独立行政法人制度の下で、通則法の基本的枠組みを踏まえつつ、相当程度の特例を加えた特例法を定めて、これにより移行する」というものだと思います。独立行政法人と「21世紀の大学像」答申の“幸せな結婚”を目指したものと言えましょう。昨年9月に文部省の示した検討方針をほとんどそのまま呑んだ格好で、文部省は大喜び。民主党が1月に「国立大学民営化」を打ち出したときとは一転して、公文書でもないこの自民党の一グループの文書を各国立大学に配信して回ったようです。ぼくたちとしては、一昨年の大学審議会答申をめぐって展開した論議を、もう一度噛み締めてみることが必要になってきたと思います(たとえばhttp://members.aol.com/mirokubutu/daisin.html 参照)。
あまりスペースもないようですから、ここで強調しておきたいのは、叫ばれている「責任ある運営体制の確立」が余りにも空疎なものだということです。まずは現状のさまざまな問題の責任を、だれがどう取るのかを明確にするところから議論を始めるべきでしょう。30年以上の永きに亘って放置してきた定員外職員の問題を、だれがどう責任をとるのですか?事務職員に対する歴然たる男女差別に、だれがどう責任をとるのですか?理学部のわれわれにも課された重い課題ですが(いちょうNo. 99-9)、大学院を拡張しておいて、平気で「平成22年における博士課程修了者の需給は、供給側が18,000人弱、需要側が12,000人~13,000人となる」(学術会議「知的存在感のある国」答申)と、1/3の人間が失業することを公言する体制をどうするのですか?さらに脳死移植など「高度先端医療」の現場である京大病院で、看護婦の夜勤回数が30年以上前の基準さえ満たせないこと。その中で先ほど医療過誤事件が起きたこと。そうしたことの責任は、だれがどう取ってくれるというのですか?
独立行政法人という枠組みの下、「学長、上御一人体制」で本当に「責任ある運営体制」ができるというのでしょうか。ともあれ、ぼくたちとしては批判的なスタンスを崩さず、今後とも、あるべき大学像について考えていくことが必要だと思います。