現在進められている教育課程の見直し作業について、前回、菅野さんは問題点として、①基礎学力軽視の下での、“多様化”“教科選択の自由”、②無定見とさえいえる10年毎のカリキュラム大幅改訂による教育現場の混乱をあげられました。菅野さんのコメントの後半です。
このような状況を改善するためにぜひ採り入れて欲しいことがある。教育審議会と文部省が制度改革に対して責任を取るような制度にするために、審議会の性格と権限を変えて、改革制度の実行まで当たるようにすべきである。そしてその答申内容とその精神が現場でどの程度実現され、効果を上げているか(負の効果も含めて)を追跡し、その制度が良く活かされるような教育条件を整える責任まで負わすべきである。
これまでの改訂で例をあげれば、高校理科に「総合理科 」* や「理科I A 」** の科目を設けたが、その科目がどの程度の高校で開講され、どのように教えられているか追跡すると同時に、その科目設定の精神が活かされるように教育条件を整備すべきである。「総合理科」に至ってはその教科書も満足に無い(一種類だけある)状態であるし、教師がそれを教えうるように再研修の時間と制度を十分整えねばならない。旧カリキュラムで教育され、それで教育してきた教師に急に「総合理科」や「理科I A」を教えろと言っても戸惑って、教えられる教師は少ないと聞く。また、「理科I A」を開講することに対してためらう高校が多い現状と、その理由を文部省は十分認識しているであろうか。このように、理科教育の目的と精神は活かされていないのが実状である。
また、週5日制についても、現在の隔週5日制は国公立の高校で実施されていて、私学ではなされていないために、国公立高校では夏期休暇の一部を割いて補修授業の形式で補っている。制度は定めても、その内実は空洞化されて立て前だけで終わっているものが実に多い。完全週5日制とするのであれば、そのような対策も同時に施さねば、益々矛盾は拡大するであろう。
このような状況を放置して、教育審議会の「言いっぱなし答申」を繰り返しても事態は改善されない。そこで、審議会制度を改めて、審議会がその答申の実現まで責任を持つように「審議・実施委員会」とすべきである。そして文部省はその実現のための権限を「審議・実施委員会」に与え、予算措置も十分することが必要である。そうすれば、審議と答申に対してその「委員会」は実行責任をともなうので、無責任な答申は出せない。当然アフターケアもなされ効果も上がるであろうし、その経験が次の方針にも活かされる。
教育改革として、これまでに種々努力がなされたが、大本にある最大の矛盾に手を付けずに、枝葉に当たる制度を変更しても、上滑りして本質的な打開策にはならないと思う。初等・中等教育のみではなく、大学についても教養部廃止、大学院の倍増計画などにより、矛盾は一層拡大した。それ相当の学力のない大学院生を多く抱え込んで、教員は四苦八苦している。それでも教員定数や予算設備の裏づけがあるならまだしも、僅かの教育費増で大学院定員を増やしたから、実力を伴わない名ばかりの院生が大量に社会に出されている。この倍増計画は社会からの需要によるものとは思えないが、たとえそうだとしても、これでは社会のニーズに答えることはできない。
そこで再度の強調になるが、まず義務教育の段階で「置いてきぼり」「落ちこぼれ」をなくすこと、そして基礎学力をしっかり付けることに最大の努力をすることである。高校・大学の数を増やして、その内実は空洞化した形だけの教育をするより、義務教育を充実すれば自然に中・高等教育における教育成果も上がるし、「理科離れ」や非行その他諸々の問題も改善されるであろう。
生徒数が減少する現在が、少人数学級実現のチャンスである。義務教育予算を削減するのでなく、むしろ今こそ充実すべきである。これをせずに、上の方の制度をいじったり、中・高等教育にお金をかけても無駄であるし、矛盾を大きくするばかりである。
* 「自然の事物・現象に関する観察、実験や自然環境についての調査などを通して、自然に対する総合的な見方や考え方を養うとともに自然の事物・現象についての理解を図り、人間と自然とのかかわりについて認識させる。」ことを目標に掲げた科目。受験科目に指定する大学もなく、実際この授業が開かれている高校はほとんどないらしい。
** 日常生活と密着した形での理科。たとえば、化学ⅠAは「日常生活と関係の深い化学的な事物・現象に関する探究活動を通して、科学的な見方や考え方を養うとともに化学的な事物・現象や化学の応用についての理解を図り、科学技術の進歩と人間生活とのかかわりについて認識させる。」ことを目標に掲げている(他の物理ⅠAなどでは、この“化学”を“物理”と置き換えたものが目標)。