かって教養部の廃止に当たって問題になった「一般教育」が、改めて大きな問題として、われわれの前に現れてきています。いちょうでは、この問題について、人間支部の支部長である冨田さんに、寄稿していただくことができました。少し長文ですので、今号と次号の2回に分けてその主張を紹介します。
標記の問題をめぐる最近の全学的議論は、(A)教養部改革の過程で「学部化しても一般教育科目は教官一人当たり平均4コマの負担を維持する」と約束したにもかかわらず実行されていないばかりか、現在、教官あたり平均は専門科目を含めて4コマ以下ではないか、学部科目以外に4~4.5コマ負担すべし、(B)全学共通科目における非常勤依存率が高く無責任になっている、(C)科目内容も手抜きが行われているのではないか、という形で全学に行きわたっているようです。確かに 現象だけ見れば、少なくとも(A)(B)は「当たらずとも遠からず」だと思います。 けれども...
* 人間支部支部長。教養部が改組され、教員組織は総合人間学部と人間・環境学 研究科という独立した2部局に分かれましたが、事務部は共通のため、職員組合教養部支部は解散せず「人間支部」に改称しました。
教養部改革については、私が20年前に着任した時点で既に何度目かの改革案が検討されていましたから、1949年に新制京都大学の宇治分校が発足して以来の教養部の歴史の大半は改革への努力であったと言えます。独立大学院の設置、少し遅れて学部化が現実のこととなり、教養部が全学の「まな板」に乗せられたある段階で「4コマ云々」の応酬があったことは確かに我々も聞きました。正確には、当時の一般教育科目の量と質を維持するということだったと思います。どう やらこの数字だけが言質として残ってしまったようですが、これは創世記の一つの局面であって、その後の京都大学全体、あるいは大学教育全般における一般教育をめぐる大きな変遷のことが忘れられているのではないでしょうか。京都大学における現行の「全学共通科目」制度は、これらの経過を踏まえて発足したものです。釈迦に説法になるかもしれませんが、話の行きがかり上、列挙しておきます。
# 当時の教養部の「平均4コマ」負担のかなりの部分が、例えば自然科学系でいえば「一般教育科目の自然分野から3科目12単位」相当ではなく、この基礎教育科目であった。