いちょう No. 97-6 97.9.4.

かって教養部の廃止に当たって問題になった「一般教育」が、改めて大きな問題として、われわれの前に現れてきています。いちょうでは、この問題について、人間支部の支部長である冨田さんに、寄稿していただくことができました。少し長文ですので、今号と次号の2回に分けてその主張を紹介します。


全学共通科目と総合人間学部(旧教養部)をめぐる問題について その1

総合人間学部基礎科学科 冨田博之*

標記の問題をめぐる最近の全学的議論は、(A)教養部改革の過程で「学部化しても一般教育科目は教官一人当たり平均4コマの負担を維持する」と約束したにもかかわらず実行されていないばかりか、現在、教官あたり平均は専門科目を含めて4コマ以下ではないか、学部科目以外に4~4.5コマ負担すべし、(B)全学共通科目における非常勤依存率が高く無責任になっている、(C)科目内容も手抜きが行われているのではないか、という形で全学に行きわたっているようです。確かに 現象だけ見れば、少なくとも(A)(B)は「当たらずとも遠からず」だと思います。 けれども...

* 人間支部支部長。教養部が改組され、教員組織は総合人間学部と人間・環境学 研究科という独立した2部局に分かれましたが、事務部は共通のため、職員組合教養部支部は解散せず「人間支部」に改称しました。

「一般教育」改革の出発点

教養部改革については、私が20年前に着任した時点で既に何度目かの改革案が検討されていましたから、1949年に新制京都大学の宇治分校が発足して以来の教養部の歴史の大半は改革への努力であったと言えます。独立大学院の設置、少し遅れて学部化が現実のこととなり、教養部が全学の「まな板」に乗せられたある段階で「4コマ云々」の応酬があったことは確かに我々も聞きました。正確には、当時の一般教育科目の量と質を維持するということだったと思います。どう やらこの数字だけが言質として残ってしまったようですが、これは創世記の一つの局面であって、その後の京都大学全体、あるいは大学教育全般における一般教育をめぐる大きな変遷のことが忘れられているのではないでしょうか。京都大学における現行の「全学共通科目」制度は、これらの経過を踏まえて発足したものです。釈迦に説法になるかもしれませんが、話の行きがかり上、列挙しておきます。

①大学設置基準の大綱化
「大学設置基準」における従来の一般教育科目(人文・社会・自然)、外国語科目、保健体育科目、専門科目の分類と、卒業に必要な124単位の内訳の規定 (「一般教育科目3分野にわたり36単位以上、外国語科目...」など)は全て廃止され、単に必修・選択・自由科目の分類だけになった(1991年)。これは自由化であると同時に、各大学・学部に対して教科課程編成の形で学部教育に対する独自の理念を新たに構築する責任が課せられ、その成果が学内外から問われるという、新制大学教育発足以来の大改革となった。

②藤澤委員会報告 ―― 「高度一般教育」へ
京都大学においても、「教養部にかかわる構想検討委員会」(いわゆる「藤澤委員会」)において「京都大学の教養課程教育の改革」が検討され、「一般教育科目を3系列から3科目ずつ形式的に履修させる」従来の制度の難点が指摘された。また、理学部に関係の深いことをあげるならば、従来の基礎教育科目# は専門科目の一部であると明確に位置づけられ、関係学部間での調整の必要性が指摘された(1989年答申)。この答申を受けて具体化するために全学の「教育課程等特別委員会」が設置され、一般教育科目に代わる概念として新たに「全学共通科目」が提案され、その主要な部分は全学的協力のもとに総合人間学部が提供し実施責任を負うこととなった。同時に、学内の全部局からの共通科目の提供が要請された(1992年)。

# 当時の教養部の「平均4コマ」負担のかなりの部分が、例えば自然科学系でいえば「一般教育科目の自然分野から3科目12単位」相当ではなく、この基礎教育科目であった。


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