いちょう No. 97-26 98.3.12.

京大職組結成50周年記念事業の一環として、「沖縄平和観光センター」の真栄田さんを案内人にたてて、2月11日から3泊4日の沖縄の旅が企画されました。初日は嘉手納基地の周辺、2日目は読谷村を経て、ヘリポート基地建設にゆれる名護市への旅でした。堤さんの沖縄の旅の報告ダイジェスト版、後半、沖縄本島南部の旅です。


京大職員組合結成50周年企画

沖縄平和ツァーに参加して その2

地鉱分会 堤 久雄

第3日目

嘉数(かかず)高地の青色の展望台にのぼると目の前に普天間基地、読谷などが見えます。この高地は日米両軍が互角に戦った激戦地で、同じ所に京都の塔が建ってます。高地一帯で戦った第62師団には多くの京都出身者(2530名が戦死)がいました。1964(昭和39)年に建立した。碑文には「再び戦争の悲しみがくりかえされない」と刻まれています。この当時の府知事はだれでしょうか。各府県の慰霊碑が、沖縄戦を賛美しているのとは対照的な文でした。

南風原(はえばる)町に小さな博物館がありました。入口近くには薄暗い南風原陸軍病院壕内(壕内は約2000人の負傷者がいましたが退却時に、歩けない者は自決させられました)を再現してあります。

サトウキビと民家の間を歩くと、糸数壕(アブチラガマ(長さ270mの鍾乳洞)の中に作られている)の入口につきます。入口は小さく、前夜の雨のために、入口は坂道なので非常に滑りやすくなっていました。懐中電灯を照らしながら壕の中に入ると天井からポタリポタリと水滴が落ちてきてました。さらに奥に行くと爆風避けの石垣が当時のまま残っていました。

この陸軍病院は建設当時にはアカアカと電灯がついていて、破傷風、脳症などの手術(麻酔なし)がおこなわれていました。戦争が悪化につれて壕内は少しずつ暗くなり最後には暗闇になりました。壕内は戦死者などの死体があり、その死臭がすごくきついので砲撃がやむとすぐに運びだしました。このような状態では食糧が全員に行き渡らなくなり餓死者がでてきました。暗闇の中で顔色が見えないので、親は幼子の顔を手で触りながら生死の確認をしました。

昼食は平和公園近くの食堂でソーキそば(沖縄そば)を食べました。うどんの一種で、独特な手法でつくられている。うまい。平和祈念堂の隣にある韓国人慰霊塔は丸い石塚で塔前に矢印がありました。矢印の方向は祖国にむいています。

平和の礎(いくじ) の約1200の壁には15年戦争で亡くなった沖縄出身者と沖縄戦で亡くなったすべての人約20万人の名前が刻まれていました。真栄田さんの兄弟の名前が刻んである所まで行き、どのような状態で亡くなったのか、なぜ同じ名前がいくつもあるのかを説明してもらました。牛島司令官の名前を刻まれているのはおかしいとの意見もあります。海の見える所に噴水がある。噴水の中には日本地図があり、沖縄を中心に平和の波が全世界に届くように、願いをこめて作られました。

県立平和祈念資料館は県内初の戦争資料館で住民の視点を大事にした展示方法です。入口近くには兵器の残骸が展示してあり、戦争当時の地図とビデオ(米軍が撮影したフィルム)の前で真栄田さんがジート見ていました。

他に魂魄(こんぱく)の碑、陸軍病院跡壕、第三外科壕跡(ひめゆりの塔)、ひめゆり平和祈念資料館、萬華(まんげ)の塔、白梅の塔など、見て回りました。白梅の塔は県立第二高等女学校の学徒隊、生徒、同級生、職員132名の慰霊塔です。塔の隣に避難した壕がありました。階段の横をふと見ると土の中に何かの慰留品が少し出ていました。それを引っ張り上げるとボロボロの靴底で、靴底はソートと元の所に置いて一路ホテル帰りました。

夜は4人で、宮廷のあでやかな紅型衣装の古典舞踊、庶民の生活をテーマにした雑踊りを見ながら、沖縄料理をたべました。ビールはやっぱりオリオンがうまい。二日目の夜に食べた以外の料理メニューを挙げると、吸物(豚の臓物)、ウムニー(紅いも)、トウフヨウ(豆腐を発酵させたもの)、ウイカラリチイ(おから炒め)など。おなか一杯食べました。


第四日目

朝から、雨がどしゃぶりに降ってきたのでしばらく様子を見て、小降りになってきてので出発をしました。

首里城は戦後、守礼門が再建(1958年)されてから、最近、正殿(せいでん) が完成(1992年)しました。付近一帯は首里城公園になったいますが公園の下には旧日本軍司令部壕跡があります。私達の後方から英語が聞こえてきましたので振り向くと通訳の人がアメリカ人に壕の説明をしていました。 レンタカーを営業所に返却後、那覇空港で昼食をしました。那覇発が14時なので、しばらく時間があるので空港内で買い物をしました。

伊丹空港で案内の真栄田さんと別れてから、空港バスに乗り京都駅で解散しました。このツァーはかなり体力が必要です。しんどいが中身が濃いので、まだ行っていない所をもう一度行きたいと思います。


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