南さんの火星の話を読みながら、カントの実践理性批判の有名な最後の部分を思い出していました。「上なる輝く星の空と、内なる道徳法則への感嘆と崇敬。しかし、それだけでは足りない。」こうした思いが、かって近代的な学問体系を作り上げた巨人たちの、一つの原風景だったのでしょう。けれども、今のわれわれは、そもそもの星空への憧憬、それに欠けているのではないのか...。南さん(「火星通信」同人。天文少年・少女の座右の書、天文年鑑の「火星」の項は、南さんたちの執筆にかかるところ)の火星の話の後半です。
火星の赤い色は力学に何の関係もありませんが、この色はホイヘンス以来火星を望遠鏡で眺める人たちを魅惑してきたものです。望遠鏡で見ると、その昔「海」と呼ばれた暗色模様の他に、酸化鉄の砂をばらまいたような砂漠が大きく広がって見えていますから、それが地肌の色になるのです。ときどきその表面の砂が強烈に舞い上がり砂嵐が起こり、暗色模様を隠すことが知られています。地球からも初期の砂嵐は輝いて見えます。その色合いから黄雲とか黄塵とか呼ばれますが、特に夏火星のときは火星の全面を覆うような大きなものに発展することがあるのです。火星は近日点近くにあって、その夏半球は太陽により強く暖められるからでしょう。1971年夏の大黄雲は多分史上最大だったものでしょう。このときはマリナーが知らずに近付いていたのですが、表面がまったく見えなくて往生したという経験がNASAにはあります。このことによって全球的な規模で大気に砂塵が混じったときの気象がよく研究されるようになり、そのモデルが地球での「核の冬」という問題提起になったことはよく知られています。火星の寒冷化はたとえば極を大きく覆う極冠と呼ばれるドライアイスや氷の固まりの溶解速度の鈍化で測ることが出來ます。
大黄雲は夏火星のとき、つまり火星が近日点近傍にいるときにしか起こりませんが(しかも必ずしも起こるとは限らず、1986年も1988年にも大きなものは起こりませんでした)、小さい局所的な黄塵はしょっちゅう起こっているようで、パスファインダーの着陸直前の今年6月27日のHST(ハッブル空間望遠鏡)のカメラによる火星像には、ワッレス・マリネリスという火星の大渓谷に黄塵が充満している珍しい様子が写っており、着陸地点のクリュセ(もともと地球の古地図で東洋の金の島を意味しました)の方に流れ出る気配がありましたので、ちょっと着陸実行に緊張があったようです。尤も大過あるまいと判断されて、計画は決行され成功しましたが、送信されて来るクリュセ上空の様子には黄雲の影響が出ていたようです。昨年9月、10月には北極冠上にすら黄塵が現れているのをHSTは捕捉しています。火星の大気ではこの黄色い砂塵は地球大気内の水蒸気のような重要な働きをすると考えられています。
火星は月のように死んではおらず、さりとて表面の動きはさほど複雑でもなく、しかし、時には大袈裟な振る舞いをして、これからも話題の提供源になるようなことは沢山ある筈です。ただ、二十年前のヴァイキング計画は冷戦構造の産物だったことは記憶しておく必要があるでしょう。それ以後火星に関してなんら探査がなされず頓挫していたというのも奇妙な現象です。最近、似たような打ち上げ計画はわが国にもあり、実行段階に入っていますが、こうしたプロジェクトが大がかりになるときは、土建屋さんや金物屋さん、瀬戸物屋さん、国防族などが裏にいますから、その闇の部分に注意しなければなりません。地球の表皮を「宇宙」などと称してそれを生業となすような事業団は「動燃(動力炉・核燃料開発事業団)」と同類で、プラネット型のロケットを発射するたびに、近隣諸国の心情も斟酌してもらわなくてはなりません。
著者から: 夏日星は「なつひぼし」ですが、夏火星は、もともと『聖徳太子傳記』には「カクァセイ」とルビが振ってありました。しかし、「夏ハナツト訓スル字也、火(クァ)はヒト訓スル字也」としょうもないこと註してありますので、夏火星も「なつひぼし」なのでしょうか。私は「なつかせい」のつもりで引用しましたが、実際には、どなたも現在ではこの語句は使っていないと思います。読者の自由ということで如何でしょうか。