佐藤さんは、日本の為替ディーラーの草分けとのこと。なんでも1971年のニクソンショック(今の若い人には通じないが、この時、1ドル= 360円の固定相場が崩れ、250円ぐらいにまで円は上がった)の時、「茫然自失の日本のディーラー」というので、佐藤さんの顔写真が、世界中に配信されたとか。
佐藤さんの話を、単純に言ってしまえば、「今、銀行は『たんす預金』をしている。だから、『金をつぎ込んだら景気がよくなる』というのは、まやかしだ」ということになるだろう。日本銀行が、ジャブジャブお金を作っては、その金を「金融安定化」「景気対策」でつぎ込んでいるが、それは銀行の「たんす」にしまい込まれて、世間に出回らない。銀行が「たんす」にしまい込みたがっているのは、結局、景気が悪くて、ものの流通が滞っているからだ。そこを「金がないから、ものの流通・生産が滞っている」(=「貨幣数量説」)と見るのは、貨幣が流通の手段にすぎないということを見落とした、誤った見方だ・・・
ここらへんの話は、米国の特殊な地位の説明も含め、佐藤さん自身が、まさにそうしたマネーフローの中を泳いできた人だけに、とても説得力を持って聞いた。それだけに「戦後の混乱期、すさまじいインフレの中で預金封鎖が行われ、預金が引き出せないまま、紙屑同然になったことがある。こうしたことが、現在の銀行の『たんす預金』が溢れ出してきた時に起きない保障はない」というのは、われわれ、真剣に考えておくべき問題だろう。「こうした問題に、個人の自衛手段ばかりにかまけていては、結局、そういう個人を食い物にする連中の餌食になるだけ」という指摘も含めて。
柏倉さんは、NHKに長くおられ、マスコミや社会調査には詳しい方らしい。
実際の世論調査がどのように行われるのか、それがどのように利用されているかについて話があった。さまざまな政治指標について言及があったが、わかったことは「(正しく行われた)世論調査は正確だ」という、当たり前と言えば当たり前の話。特に柏倉さんがフランスで身近に経験された、選挙結果速報の話(選挙終了5分前に、マスコミ各社が一斉に選挙結果予想を出し、およそはずれたためしがない)は、興味深く聞いた。
問題は、柏倉さんが指摘されたように、その何でもない事実を、いかに自らの問題、主体の問題としてとらえるかというところにあるのだろう。「選挙結果は世論調査の通りになる」とすれば、「何も自分が選挙に行かなくてもいい」ということになる。おそらく、そこの所で「自分のことは自分が決める」という、今日われわれの多くの共有するであろう個人主義の理念が、「自分たち」「社会」と向き合う中で、その真価、その強さを問われることになるのだろう。
貞方さんの司会で、中野元職組委員長の、日本の米問題に関する講義を受講した。
ふだん、米のことはよく知っているつもりでも、こういう整理された話を聞くと、頭の中がすっきりした気分。
米という商品の特性として、中野さんは3つ挙げられた:(1) 十年に一度は不作の年がある(最近では1993年)、(2)世界で年間5億トン作られるが、その内貿易に回るのは千5百万トン、3%にすぎない(小麦やトウモロコシは2割から3割)、(3)一人当たりの消費量が戦前並みなら、日本は慢性的な米不足(日露戦争(1905年)以来!)。ちょっと豊作が続いたからといって、不作の年の備えは欠かせない。また安易な輸入依存は、貧しい国の飢餓を引き起こしかねない。そして米消費量の落ち込み(戦前は、およそ成人一人一年150 kg。現在では70 kg を割り込む)が「余剰米」の原因。これには戦後の政策、中でも学校給食(パン食を導入)と麦価政策(消費者麦価は、73年まで下がりつづけた)が大きな要因になっているとのことだった。
中長期的な展望としては、食料米と餌米への分化が必要とのこと。現在、家畜の餌としてトウモロコシなど2500万トン輸入している。これを米で置き換えていこうというわけだ。いわば「まずくてもたくさん取れる米」への転換。ちょっと想像できないが、まずくてよければ10 a(= 1反)あたり1500 kg(= 25俵!)の収穫も可能といわれているらしい。
議論の中では、食料の安全性の確保の必要、後継者問題(全国330万戸の農家で農業後継者は年1800人程度)など出された。古い人間の考えかもしれないのだが、「牛や馬に米を食わせる」というのには、何か釈然としない気持ちは残った。もっとも家畜にトウモロコシや麦を食べさせるということ自体、欧米でも戦後になって、余剰穀物対策として発達した技術とのことではあったが。