さる7月11日(土)、京大職組理学部支部は、ミニシンポジウム「大学院重点化で京大理学部はどこへ?」を開催しました。シンポジウムでは、鎮西評議員から京大理学部改革の現状について、東大理学部の比屋根(ひやごん)さんからは重点化の現場で何が起きているのかについて、お話いただきました。
ここにお届けするのは、このミニシンポジウムでの、東大理学部の改革についての比屋根さんの話をまとめたものです。重点化で何かと騒がしいですが、改革して何が起きるのか、どんな改革が必要なのか、冷めた目で考えるには、格好の材料と言えましょう。
主催者側の準備不足で、何かと不行き届きな点もありましたが、今回のミニシンポジウムは、多くの参加者も得て、有意義なものになったと思います。暑い中、はるばる東京からお出でいただいた比屋根さん、当局者として難しい立場におられながらも、参加を快諾いただいた鎮西評議員、ありがとうございました。末筆になりましたが、シンポジウム会場の運営に御高配いただきました物理教室の関係者に、厚く感謝します。
1992年 8月12日
京大職組理学部支部ワーキンググループ
東大における改革についてお話しするに当たって、まずどのような立場から話をするかについて、はっきりさせておいた方がよいと思います。というのは、どういう立場から「改革」を見るかで、話の内容が大きく変るからです。
私は、地球惑星物理教室の助手をしています。ですから、まず助手という立場からの話であることを、お断りしておきます。さらにもう一つ、先程の鎮西先生のお話(7月29日付けで既刊)は、どのような改革をしたいか、という話だったわけですが、私は、そうした改革の結果、何が起きるかという観点からお話しします。そもそも「改革」しようという以上は、その意図するところとしては、悪い話は出てこないんですね。しかし、実際やってみると、いろんな生臭い話が吹出してくる、そういった話をしたいと思います。
まず東大理学部というのが、どんな教室からなり、またどれぐらいの規模を持っているのかを、少し紹介しておきます。下の表は、今年の7月1日現在の東大理学部の構成人員です(時間雇用を除く)。京大と比べてどんなものか、少しイメージをつかんでいただければと思います。(京大は、5月1日現在、教官総数266名、職員総数120名)
教室名 | 教授 | 助教授 | 講師 | 助手 | 計 |
情報科学 | 4 | 4 | 0 | 4 | 12 |
物理 | 20 | 15 | 0 | 35 | 70 |
天文 | 3 | 3 | 0 | 5 | 11 |
地球惑星物理 | 7 | 10 | 0 | 14 | 31 |
化学 | 12 | 4 | 6 | 23 | 45 |
生物化学 | 5 | 3 | 1 | 12 | 21 |
動物 | 4 | 1 | 3 | 10 | 18 |
植物 | 5 | 4 | 1 | 10 | 20 |
人類 | 2 | 3 | 1 | 5 | 11 |
地質 | 5 | 3 | 1 | 8 | 17 |
鉱物 | 2 | 2 | 1 | 3 | 8 |
地理 | 2 | 2 | 0 | 3 | 7 |
施設など | 7 | 10 | 2 | 30 | 49 |
計 | 78 | 64 | 16 | 162 | 320 |
職員 | 事務 | 図書 | 技術 | 教務 | 計 |
80 | 15 | 63 | 4 | 162 | |
日々雇用 | 7 |
みなさんもある程度は聞いておられる事と思いますが、東大「改革」の経緯とその進行現状について、最初にざっと眺めておきます。
今回の東大改革の流れには、いくつかの時期を画することができますが、その準備期といえるのは、森総長の時代です。森総長の時代には、全国レベルの話になりますが、臨時教育審議会第2次答申(1986.4)というのが出されています。この文書は注目すべき内容を含み、「大学審議会の設置」「大学の多様化」「教員の任期制」「教員の業績評価システム」などと並んで、「大学院の飛躍的充実と見直し」というのが謳われています。
この時期、話題になったのは、森総長の「第12稿」と称されている、「東京大学における大学院制度について」と題する文書です。この文書は、“国威を賭けるほどの重点大学”といった表現に象徴されるような、露骨な東大中心主義で話題をまきました。それはそれとして、この中で「学院」というものが、登場します。この「学院」というのは、学部・修士一貫教育を特徴とし、校費と基準面積の増加を要求するものでした。
こうして「学院」を掲げた構想が、理学院構想(87年)、工学院構想(88年)という形で、次々出されました。当初(87年)東大「学院化」のモデルとされた理学院構想については、学部・修士一貫教育について、「学生の東大への囲い込み」との批判がありました。そこで88年には、学部/修士/博士の区切りを現状のまま維持した工学院モデルを採用して「学院化」をめざしました。しかし、いずれも既存講座の「学院講座」への転換が法改正を必要としたために、頓挫してしました。 なお、この時期に国立学校設置法が改正(88.5)されました。これは直接的には、総合研究大学院大学や独立大学院の設置に対応したものでした。しかし、この改正で大学院講座が可能になったことは、当初、見落されていたようです。
有馬総長の時代になって、「理学院」第3次素案(89.3)が出ました。しかし法改正が必要なことから、手詰まり状態は変らず、事態に進展は見られませんでした。こうした中、東大の大学院問題懇談会の報告書(90.3)が出されました。この報告書は、実現可能なものから手を付ける、というもので、大学改革について、各学部それぞれが、独自に走り出すかっこうになりました。
こうした情勢の中で、われわれが「二階建て方式」(=“大学院重点化”)と呼んでいる方式で、法学部がさっそくと改革を実現させてしまいました(91.4)。大学院講座に移行(=大学院を部局化)するとともに、学部も学科目制として維持することによって、校費の増加(~3割増)を実現させたわけです。この法学部の案が、すんなり通ったのを見た他学部も、一様に法学部方式を採用する方向に向かいました。
現在、学部は、理、工、農、薬、医、経、文、教育、いずれもが、法学部方式による改革を志向しています。すでに理学部、工学部については、理は2年計画、工は4年計画で実施されつつある段階です。ただしこれに続く、他の学部の改革案の成否は、まだ不透明です。なお、教養学部については、当面、カリキュラムと、進学振り分け制度の改善を進めることになっています。いわば重点化に、おいてけぼりをくった格好です。
さて、ここで理学部の改革案について、少し紹介しようと思うのですが、人間考えることはよく似ているものと見えて、鎮西先生から紹介のあった京大の案と、東大理学部の改革案はよく似ています。京大の「相関理学専攻」が、東大では「広域理学専攻」になっている、あるいは組織図で、東大の場合には京大にはない教養学部の一部が組込まれているといった程度の違いはありますが。ですから、詳細は触れません。ただし、実際に人の数がどの程度に変るものかについては、示しておきます。
講座数 | 教授 | 助教授 | 講師 | 助手 | 教官計 | 修士 | 博士 | 院生計 | |
現状 | 36 | 36 | 36 | 6 | 69 | 147 | 90 | 54 | 144 |
改組後 | 16 | 45 | 45 | 1 | 56 | 147 | 163 | 82 | 245 |
このように、教官の数は変りませんが、院生は大幅に増えます。これは他の部局の重点化構想でも同じことで、工学部では修士が468人から656人、博士が255人から343人にそれぞれ膨らみます。
なお社会人コースは、理学部で10人程度、受入れることになっています。
研究所の改革については、現在、研究所問題懇談会が設置されており、これまたいろんな動きがあるのですが、詳細は省略します。ただ現在、東大が千葉県の柏市に移転する計画があって、それとのからみが大きいのです。この計画の成否は、六本木地区(物性研、生産研)の売却がカギで、この所の地価の下落で、計画も浮いたり沈んだりといったところです。
東大理学部職組では、改革問題について「改革に対する理学部職員組合の見解と要求」(91.10.25)を出して当局と交渉してきました。定員増がない場合は改革を再検討すること、組合との合意抜きには労働条件の変更を伴う改革は認めない、等々の要求を掲げて運動しましたが、現実には「改革」が進められつつあります。
今回の重点化は、当然の事ながら、院生、予算の増加、組織の新設・複雑化をともなっています。ではそれに見あった職員の定員増はあるでしょうか。理学部、数理科学研究科それぞれについて見てみましょう。
理学部では重点化に当たって、どれくらいの職員が必要かを、各教室あてにアンケート調査しました。その結果として出てきたのは、75名必要、という数字でした。しかし重点化の案の段階で、当局は「75名増は非現実的なので、15名程度を要求したい」として、15名程度の増員までねぎりました。さらにこれが、92年度の実際の要求人数として出た時には、「今回は大学院部局化を最優先するので、職員定員増要求は4名に押さえた」というわけで、4名の増員要求にまで削り込まれました。そして最終、実現した職員定員増はゼロという次第です。しかし、当局は、「職員定員増がなくても、改革はやらねばならない」という態度をとっています。この一方で、容赦なく第8次定員削減はかかってきています。東大理学部の場合、92年度で-3、93年度は-4 ・・・という具合です。
現状でも人は不足しています。定員削減がいかに虚偽に満ちたものであるかは、理学部における定員外職員の数に現れています。昨年10月現在で、何と147人(日々雇用11人、時間雇用136人)に達し、パートの給与として年間1億円以上を支出しているいるのです。必要な人さえ減らしていることは明らかでしょう。この上、定員増なしに拡張策をとればどうなるのでしょうか。
もっと悲惨なのは、理学部から独立した数理科学研究科の場合です。教官数は改組で、63(18:17:1:27)から66(30:30:0:6)へと、幾分、増えました(括弧内は、教授、助教授、講師、助手それぞれの内数)。院生は、修士が21から51、博士が12から30へと、2.5倍程度になります。
さてこうしてできた数理科学研究科に職員は、理学部数学教室から9人、教養学部数学教室から1人が移行しました。独立した部局ですから、同じくらいの規模の部局として薬学部があるので、当初の職員定員要求としては、薬学部と同じ25名(+15)が出ていました。それが実際の定員要求の段では、何と+1、独立した部局の事務を構成するのに最低必要な、課長を1要求したのみでした。
それでは、その1名の増員要求は通ったか。何と実現した職員定員増は、やはりゼロだったのです。余りにもひどいというので、かろうじて全学措置でなんとか+1は実現したのですが、こんどは数理科学研究科としての、独立した事務組織ができませんでした。「教養学部・数理科学研究科事務部」、いわゆる“複合事務”として、新研究科の事務は発足することになりました。
“複合事務”という形になったらどうなるか、というわけですが、教官サイドから見た時には、数理科学研究科独自の必要性に基づく事務業務のカットという形ではね返ってきています。たとえば、数学教室では数学に関する情報交換を兼ねた昼食会というのを、伝統的にやっているわけですが、それに関するお金集め(保険料などについても同様)などの仕事が、教官(助手など)の側の負担になりました。数学教室が独自におこなっていた、充実した図書運営、きめ細かい事務業務などが次々とカットされつつあります。はては必要な時間雇用職員さえ自由に置けない状況が生まれています。数理科学研究科としては、複合事務に「お願い」するだけで、研究科独自の運営は不可能になりました。
また職員の側から見ると、職員の面倒を、教養学部、数理科学研究科のいずれが見るか、責任の所在があいまいなのです。最初に問題になったのは、身分証明書はだれが発行するかということでした。また待遇や昇進、あるいは業務内容についての問題はどこに持込めばよいのか、非常に不透明です。
このような事態を招いた背景には、数理科学研究科の執行部の方針の甘さがありました。当初、計画を推進していたメンバーは、事務については「すべてパートでもよい」「職員はいらない」とさえ考えていたのです。
重点化がらみで、事務室を統合して合理化するような話が、よく出てきます。しかし、事務室の統合で合理化することは、はたして可能でしょうか。
現在、東大理学部には、教官・職員あわせて約500名、院生学生あわせて約1850名います。これだけの人数に、きちんと必要な情報を伝え、また各々の意見を集約することは、中央一元化で可能でしょうか?それは不可能です。そのためには、“先端部分”にきちんとケアできる事務室を置き、そこを通して、それぞれの研究・教育現場に即した事務を行うしかありません。つまり現在の形態が、もっとも合理的でのぞましいものなのです。事務の統合は、大学にとって最も必要な、教育・研究の現場に即した業務を切り捨てることに他ならないのです。
教育・研究の問題を考えるわけですが、「改革」の本音のところを、割り切って押さえておくことが大事だと思います。そういう立場から言いますと、まず第一には、今回の改革は予算獲得が最大の目的であり、組織変更などはそのための方便に過ぎません。さらに、この「改革」の性格をよりはっきりさせるために、「何のための」改革か、ではなく、「誰のための」改革か、ということを考えてみたいと思います。
まずはっきりしていることは、職員にとっては、何のメリットもありません。これは先程、現実に何が起きたか(るか)を紹介したところで明らかでしょう。一方、教授にとっては、とても魅力的な「改革」です。お金は(ひょっとしたら基準面積も)増えます。さらに手足(及び頭脳)となる院生が増えます。その上、人出不足を補うためのTA(Teaching Assistant = 教育補助者)が本格的に導入されるというのですから。
微妙な立場にいるのが助手です。研究費が足りないことは、たしかに深刻な問題ですが、助手にとって研究費の問題は、助手が独立した研究者として扱われるかどうかという問題と不可分です。今回のような改革をしたからといって、職員定員増がなければ、助手にとって「お金」より「雑用」が増えることは不可避です。
人出不足の対策として、TAに大きな期待をかける向きがあります。けれどもTAにはそんなに期待をかけられません。なぜならTAは所詮、院生であり、その面倒を見るのは、結局の所、助手だからです。実際、いろいろ聞いてみると、TAは教授・助教授には評判がよいが、助手にはそんなに評判がよくありません。もともと、「教育的配慮」(=「TA本人のためにもなる」)の名目で導入が謳われたTAが、今や人出不足の解消策へと転化していること自体問題です。
ちなみに、米、カリフォルニア大学では、TAのストライキが起っていることを紹介しておきましょう。TA側の主張は、TAの労働組合を認めよというもので、当局側の主張は、「教育の一環」なのだからおとなしく従え、というものでした。「労働」なのか「教育」なのかが争われたのです。
大学院重点化で院生が大幅に増えたら、面倒をみきれなくなって、教育の軽視、水増しが起きるのではないか。これもよくいわれる議論です。そしてこれは、実際正しいのです。
しかしことは学部教育に止まりません。先にも触れましたが、数理科学研究科では、教官定員があまり変らないのに、院生は2.5倍程度に増えることになりました。現在でも院生の“質”の低下が問題になっており、教官(助手)が面倒がって、院生の相手をしない状態が生まれてきているといいます。学部段階の話を一からしないといけないようでは、時間の無駄だというのです。この状態で、院生数が2.5倍化したらどうなるのでしょうか。
今回の重点化に関わって、助手の、助教授・教授へのアップシフト(昇任)に期待をかける方もおられるでしょう。実際、それが実現すれば、助手の待遇改善につながるわけで、歓迎すべきことだと私は考えます。
しかし現実はそう甘くありません。例えば法学部では、すでに重点化を実施しているわけですが、重点化にともなう助手のアップシフトは、ほとんど実現していません。この原因として、私はまず、教授(助教授)の既得権益といったものがあると思っています。つまり、教授が持っている権利・権限に、これまで目下だったものが割り込もうとするのを、押さえようとする動きです。もう一つは、実際問題として、院生の増大に対処するには、いつも彼らの身近にいて相談に乗ってやれる存在、助手が不可欠だということです。こうした問題を、解決しない限り、助手のアップシフトは難しいでしょう。
助手の問題の中で、特に広域理学専攻(京大理学部でいう相関理学)の「共通大講座」専任助手の問題について、私は特に強調しておきたいと思います。
この広域理学については、職員定数がつく見込はきわめて低い。ということは、雑務はすべて専任助手に回ってくることが必至です。その上、業績評価は2年ごとに厳しく迫ってくる仕組になっています。ここで問われるのは、助手が「共通大講座」へ参加する権利はもとより、「参加しない権利」をどこまで確保できるかということです。
最後に、本当に今回の大学院重点化、「二階建て方式」が、学問の発展につながるのか、ということを真剣に考えておく必要があります。「二階建て方式」が使えるのは博士課程を持つ大学だけです。その上、博士課程を持つ大学でも、名古屋大学はダメと言われたらしいという情報もあり、今回の形式での改革は、実質、東大、京大でおしまいかもしれません。
金の集中。そして人材の集中は、研究のできる大学とできない大学への、極端な2極分解をもたらします。さらにそれは、ある分野を一つのグループが独占するような状況、あるいは学問のボス支配を作り出しかねません。
若手研究者の場合、将来的に他にポストを得て、飛び立って行く立場にあります。そうした若手にとって必要なことは、どの大学に行っても研究できるような条件の整備ではないでしょうか。この意味からも、今回の大学院重点化には、大きな問題があると考えます。
今回の話で、私が強調しておきたいのは、改革を考える視点として、①助手や院生といった若手にとってどうなのか、ということ、それともう一つ、数理科学研究科の例に代表されるように、②事務の問題(職員問題)を甘く見てはいけないということです。
さらに議論する上で大事なこととして、①改革をめぐっては利害は対立する、ということ、そして、②結果的に起きる生臭い問題に目を向けよう、ということを言っておきたいと思います。とにかく、100%誰のためにもならない改革や、100%駄目な改革というのはありえないんですね。ですから、理想論を言うのではなくて、どういう立場からものを言うかをはっきりさせて、改革の結果何が起きるかということを議論しないと、空回りするだけです。
きょうの私の話について、教授の方の中には腹立ちの方もおられるでしょうが、こうしたことを理解いただいて、改革のいく末を考えていただきたいと思います。
Q:話を聞いて、京大の案が東大のものまねだということが、よくわかったように思うんですね。ただし、京大では教室の併合を行うのに対し、東大ではほとんど元の教室のまま、重点化が行われているようなのですが...
A:その点については、実は教室間の調整がつかなかったのが実態です。
Q:私は教室事務で働いています。この前、中堅者研修というのがあって、人事の人から、教室事務は末端の業務で、たいしたことないんだという話を繰り返し聞かされました。さきほどの話では、教室事務が“先端”で重要だという話で、非常に勇気付けられたのですが、東大では現在、教室事務の位置付けはどんなものなのでしょうか。
A:東大理学部では特別、教室事務が下で中央事務が上という扱いにはなっていません。
Q:東大の理学部で、定員削減反対の教授会声明が出されたと聞いています。どんな風な議論から、そういう声明を出すことになったのですか?
A:東大の理学部職組は、毎月学部長交渉をやっています。その席で学部長に、定削に反対するよう要求して、実現しました。今の学部長が、職組との交渉をないがしろにするような人でないことも、幸いしたと思います。
Q:「増員が認められなかったら、改革をやめるかどうか」は、なかなか難しい判断だと思うのですが。
A:職組としては、何も言わずにおいて悪いことが起きるよりは、前もってよく議論しておくのがプラスだと思います。私としては、とにかく自分の意見ははっきり言いたいと考えています。
C:かって60年代から70年代に、職組は教室民主化を掲げて闘いました。その結果、いくつかの教室では要求が実現し、またいくつかの教室では実現しない、今日に至っています。今回の改革にともなう大講座化は、かって果たせなかった教室民主化を実現するチャンスのように思います。
A:そういう考えもあると思います。
Q:図書館職員です。現在京大理学部の図書室では、パート職員が半数を越える状況です。今度の重点化で、教室図書を中央図書館などの形で統合化し、合理化を図れないものかと期待しています。東大では、集中化の計画があると聞いたのですが、今どうなっているでしょうか。
A:東大では1号館集中化構想というのがあります。13階のビルを建てて、今キャンパス内にバラバラに立地している教室を集めようという話です。それに関わって、図書の集中化案が浮上したこともありました。ただし、金の問題でこの案自身が、いくつかの建物に分散する方向に転換したので、今はまた立ち消えになっています。とにかく「定員をどこで浮せるか」に始まる図書館構想では、かりに実現しても、サービスが悪くなった上に、人が減らされて仕事がきつくなるというふうになると思います。
Q:大講座化にともなって、どんな変化がありましたか?
A:われわれの所では、何人かで研究グループを作り、その“口座”に予算を振込む形になりました。院生当たりの校費も、名目上の指導教官ではなく、実質的な指導教官に配分されます。それぞれの研究者の独立性が、保障される形になったわけです。ただし、他の教室では実質的に何も変っていないようです。