1992年7月11日の土曜日、折からの「大学院重点化」の動きの中、理学部支部では「大学院重点化で京大理学部はどこへ?」と銘打ったミニシンポジウムを、時の鎮西評議員(後に理学部長)と、先行して「重点化」が行われた東大理学部の職員組合の比屋根(ひやごん)さんをお呼びして開催しました。このミニシンポジウムの記録は、鎮西さんの話については7月29日に、比屋根さんの話については8月12日に、それぞれ作成・配布しました。
10年近くたって、このミニシンポジウム関係の文書を、HTMLで公開するのは、独立(行政)法人化の波の高まる中で、かっての重点化の折に問われたこと、問うたことを、もう一度振り返ってみたいと考えたからです。 大学院重点化は、いわばトップ数大学への重点投資策です(最近、文部科学省がいっている「トップ30大学の育成」は、これから言えば「大学の平準化」政策に相当するでしょう)。 それが当事どのように議論されたのか。そしてその後の推移は何を示したか。 このミニシンポジウムでの議論には、すでに陳腐になった部分もありますが、今なお大学について、あるいはわれわれがいかにあるべきかについてアクチュアルなものを孕んでいると信じます。
最後に、この92年のミニシンポジウムを主導したものとして、当事の理学部支部の内部の事情を言えば、支部執行部全体が開催に積極的であったわけではありませんでした。 ずいぶんと消極的な議論もありました。 それはたとえば「将来構想に関わるような問題については、職組は静観すべきである」という意見であり、さらに言えば、「重点化」で利益が期待できる人々の隠微な意向の現われと、ぼくには感じ取られました。 それだけに、シンポジウムが盛会のうちに終わり、いつもは手厳しい批判をもらす先輩から、「これだけの質のものを、何年かに一度でもやってくれるなら、組合費なんて安いものだ」という言葉をもらったことは、今も印象に強く残っています。