かつて化学の3回生の学生実験の無機分析実験では、 沈殿の生成と灼熱・定量による重量分析は定番の実験でした(2005 年度まで)。 現在はもう磁器ルツボをバーナーで強熱するような実験は行っていませんが、 細心の注意と忍耐を要する古典的な実験の詳細も紹介しておきます。
ここで扱う重量分析では、与えられた試料から、 知りたい成分を沈殿として分離し、純粋で安定な状態にして、その重さから試料中の成分の組成を決定します。 たとえば鉄であれば、 試料中の鉄分をまず水酸化鉄(III) の沈殿としてろ紙を用いて分取し、 水で洗浄して不揮発性の無機塩類を除いた後、 ブンゼンバーナーで灼熱してろ紙は燃焼、水等は揮発させて除き、 酸化鉄(III) Fe2O3 の形にして、 その重さをはかることで、試料中の鉄含量を決定します。
学生実験では 0.1 mg 程度までの精度を追求しますが、 秤量する対象のルツボは約 20 g 程度ですから、 その数十万分の 1 のオーダーということになります。 0.1 mg まで沈殿を確実に採取し、 質量の欠損なくろ紙を焼却することが可能であり、 またそれにはどうすればよいかを考える縁となればと思います。 なおガラスフィルターを用いた実験操作、 実際に当たっての天秤の安定性等については、 (3回生実験の「合金の分析4」の亜鉛の重量分析を参照ください。
ここでは磁器ルツボを用い、 ブンゼンバーナーで沈殿を灼熱恒量化して定量する手続きを述べます。
沈殿を焼くルツボは、同時に秤量容器となります。 従って、最終的な沈殿秤量時と同じ状態(可燃物の付着が無く乾燥した状態)での重さを予め求めておく必要があります。
ルツボを水洗し、空気中で乾燥(風乾)します(乾燥機を用いてもよいでしょう)。 これをふたをしたまま三角架に乗せブンゼンバーナーで加熱します。 小さな炎から初め、徐々に炎を大きくし、 最終的には、吸気孔も大きく開き、 バーナーをこれ以上できないぐらいの強い炎にして 30 分から 1 時間ぐらい強熱します (中途半端にすると中途半端な結果になって、安定な結果が得られません)。 この間、ルツボの底は少し黄色から赤味を帯びた色になります。 いずれの段階においても、ススが付かないように、 バーナーは赤い炎がルツボに当たらないようにします。
デシケーターを持ち運ぶ時は、必ず、デシケーターの身とふたを一緒に持ち、 ふたがずり落ちないようにします。 デシケーターの持ち方には種々の流儀がありますが、 図のような持ち方も一法です (石橋雅義「定量分析実験法」より)。 |
炎を消し、少し間をおいて、まだルツボを少し冷ましてから(1 ~ 2 分程度)、 ルツボ挟み(トング)を使ってデシケーターに入れふたをします。 加熱の時に炎をゆっくり強くしていくよう注意しましたが、 冷却の時、高温のままデシケーターの陶板において急冷すると、 ルツボにヒビが入り、ルツボが割れてしまうことがあります。 ルツボが冷めるにしたがってデシケーター内が陰圧になるので、最初はふたを水平にずらしておき、 少ししてから一度ふたを水平にずらせて陰圧を解除するようにします (内外の圧力差が大きくなるとふたが開かなくなることがあります)。 この後、30 分程度放冷してから秤量します。
重量分析では不燃性の付着物はすべて誤差になります。 操作に当たってはごみや塩分等がルツボに付着しないよう、 ルツボを直接机の上に置かず、清浄な陶器製の板などの上に置き、 ルツボを直接素手で触らず、ルツボ挟みまたはピンセット等で扱うようにします。 またルツボ挟みは、先端が机に触れないように、仰向けに置くのが作法というものです。 ルツボ挟みの先端は炎の中で高温になり、 木やプラスチックに触れたりするとタール分などが付き、 ルツボにそれが付着する可能性が高いのです。
再び、先と同じ要領でルツボを焼き、デシケーター中で放冷、秤量する操作を繰り返します。 その時の秤量値が、直前の回の秤量値と0.3 mg 以内で一致したら、 最終秤量値を、そのルツボの本来の重さ(恒量)であるとします (最終の2回の秤量値の平均をとる流儀もあります。 またろ紙の灰分の重さとして 0.06 mg を差し引くこともあります。)。
熱いまま重さをはかると、秤量値は一般に小さく出ます。 右図は何個かのルツボについて、放冷にともなう質量変化を測定した例です。 変動がある程度収束するのに 30 分程度要していることが分かります。 測定に当たっては 30~40 分程度の放冷時間を決めておくか、 放射温度計で温度をモニターするのがよいでしょう。 したがって恒量化操作は 30~40 分加熱 → 30~40 分放冷 → 秤量 → 30~40 分加熱 → 30~40分 放冷 → 秤量 →・・・というサイクルになります。 なお放冷時間を長くとり、翌日(あるいは翌週)に秤量したりすると一般に秤量値が大きく(1 ~ 2 mg)出ます。
目的の沈殿を純粋に、かつ、集め易い形で生成させ、損失なく分離することは、 重量分析の精度を向上させる上で重要ですし、 一般の合成実験においても必要なテクニックです。
一般に、沈殿を生成させる時は、試料溶液を温め、これを激しくかくはんしながら沈殿剤の溶液をゆっくり加えます。 この時、沈殿剤は小過剰用いるようにします。 また、生成した沈殿は、母液中で長時間放置するか、母液ごと沸騰直前の温度まで穏やかに加熱します。 これは同じ化学種でも粒子の小さな結晶は溶解度が大きく、粒子の大きな結晶は溶解度が小さい事を利用して、 沈殿の平均粒径をより大きくするための操作であり、熟成(オストワルド熟成 Ostwald ripening)と呼ばれます。
沈殿を集めるには、通常四つ折ろ紙を使った自然ろ過を行います。 ろ紙には灰分の少ない定量用ろ紙を用います。 直径 9 cm のものを用意していますが、 重さはおよそ 0.6 g で、灰分は 1/10000 の 0.06 mg とされています (通常の定性用ろ紙だと 1 枚 1 mg ぐらい)。 ろ過時、元の溶液はなるべくかき混ぜない様にして上澄み部分からロートに移すようにします。 溶液をろ紙上に注ぐ時には、ガラス棒をつたわらせるようにします。 また母液をかきまぜて、いきなりロートに入れるとろ紙の目が詰まり、 ろ過に長時間を要することがあります。 最後に、元のビーカーに付着した沈殿はポリスマンでかきとって洗い流します。 (さらに念を入れて、ここでろ紙の破片で拭き取るという流儀もあります。) こうして採取した沈殿を洗浄する時には、一回に加える洗液量をなるべく少量ずつに分け、 何回か繰り返し洗浄するようにします。
ポリスマンというのは、先端部にゴム管(シリコンチューブがよいでしょう)をはめたガラス棒です。 ゴム管は 1 cm 程度あればよいでしょう。 ゴム管をはめる時は、水を付けてすべりをよくします。 無理をするとガラス棒が折れて大きな怪我をすることがあります (3回生実験の「合金の分析4」の亜鉛の重量分析も参照)。
ろ過、沈殿の洗浄が終わったら、なるべく水を切らせた状態にしてから、 沈殿を中に包み込むようにしてろ紙を取り出します。 そしてろ紙が重なりあっている方を上にして、予め恒量化したルツボに入れて、 三角架の上でバーナーで、焼却・加熱します。 ルツボのふたをずらせた状態で乗せ、バーナーを用いて乾燥させます。 ここで中の水が沸騰し沈殿が飛散してしまう事があるので、 手間がかかりますが、ルツボごと空気浴(エアバス)に入れて乾燥させるという流儀もあります。
ルツボのふたの裏側に水滴が認められなくなる程に乾燥したら、 ふたをして炎を少し大きくし、ろ紙を蒸し焼き(くすぶり焼き)にします。 時々、ふたを開け、ろ紙の状態を観察します。 この時、燃え火の立つような燃やし方をしてはいけません。
黒煙や白煙が出なくなり、ろ紙が完全に炭化した状態になったら、 ルツボを傾け、ふたをずらしてバーナーの炎からの熱気流がルツボ内を通る様にします。 そしてバーナーの炎を最大にし、残った炭素分を燃やし尽くします(灰化)。 この時、バーナーの還元炎がルツボの内部に入ると、沈殿が還元されることがあるので注意します。
灰化の際に厄介なのは、プラスチック状のスス(タール)がこびりついて、なかなか焼き切れないことです (このタールができ難いように、くすぶり焼きが推奨されます)。 基本、タールが付いている位置にバーナーの炎をあてて強熱します。
炭素分が燃焼し切ったら、最強の炎で20~30 分程度強熱します。 後はルツボの空焼きと同様の操作により、放冷、秤量を行います。 結局のところ、ルツボの空焼から言うと、 <ルツボの洗浄>→ 30~40分加熱 → 30~40分放冷 → 秤量 → 30~40分加熱 → 30~40分放冷 → 秤量 →・・・→【恒量化確認】→ <沈殿採取> → <ろ紙灰化> → 30~40分加熱 → 30~40分放冷 → 秤量 → 30~40分加熱 →30~40分放冷 →秤量 →・・・→【恒量化確認】 という手順になります (恒量化は直近 2 回の秤量値が 0.3 mg 以内に収まることで確認)。
なお磁器ルツボの重さは実験のたびに少し変化するので(2 mg 程度)、 空焼の操作は沈殿の加熱恒量化のたびに必要です。 こうしたことを念頭に、実験スケジュールをうまく立てます。
秤量の際に、ルツボのふたも一緒に秤量すべきかどうかは、 難しい問題です。 ぼくはルツボの ”身” だけ秤量することを薦めます。 学生実験で使っているルツボの ”身” は 20 g ぐらい、 ふたは 10 g ぐらいです。 ふたも一緒にすると、秤量すべきものの重さも嵩も増えて、 不確かさが大きくなります。 またふたにタールが付いたりすると、 焼き切るのが面倒です。 ただし稀ですが、 ふたに沈殿が付くことがあり、 それを気にする立場からは、ふたと一緒に秤量することになります。
この項については、 3回生実験の「合金の分析4」の亜鉛の重量分析を参照下さい。
ろ過に用いるガラスフィルターには大きくルツボ型(グーチGooch型)とブフナーロート型がありますが、 重量分析にはもっぱら乾燥の容易なルツボ型のガラスフィルターが用いられます。 ルツボ型のガラスフィルターを用いるにあたっては、 まずアダプター(グーチロート)にゴムチューブをかぶせ ゴムチューブを中側に折りこみガラスフィルターをのせて組み立てて、 吸引ビンに接続して用います。 ガラスフィルターの抜き差しに当たっては、ゴム手袋をするなどして汚れが付かないようにします。
ガラスフィルターを用いて沈殿を採取・加熱乾燥して秤量する場合、 ルツボの場合と同様、沈殿を加熱乾燥するのと同じ条件で、洗浄済みのガラスフィルターの重さをはかり、 安定した値を与えるかどうかをチェックしておく必要があります(恒量化)。 ガラスフィルターはエアバス等で、せいぜい 200 °C 程度まで加熱するぐらいですが、 ガラスが厚手で熱容量が大きいこともあって、加熱・放冷に要する時間はルツボの場合とあまり変わりません。 したがって一連の操作はルツボの場合と同様、 <ガラスフィルターの洗浄>→ 30~40分加熱 → 30~40分放冷 → 秤量 → 30~40分加熱 → 30~40分放冷 → 秤量 →・・・→【恒量化確認】→<ガラスフィルターで沈殿採取>→ 30~40分加熱 → 30~40分放冷 → 秤量 → 30~40分加熱 →30~40分放冷 →秤量 →・・・→【恒量化確認】という手順になります。
ガラスフィルターで沈殿を加熱乾燥・定量する際も、ルツボの灼熱恒量化同様、 ガラスフィルターを直接机の上に置いたりせず汚れが付かないようにするとともに、 ガラスフィルターを一定の条件で十分冷却してから測定することに注意します。
なおガラスフィルターの型番の最後の数字(1G3であれば最後の3)は、 ガラスフィルターの目の細かさを表し、大きいほど目が細かくなります。 JISでは 1 から 4 の 4 種類が規定されており、 フィルターの細孔径は 1 が100~120 μm、2 が 40~50 μm、3 が20~30 μm、4 が 5~10 μmです(JIS R3503)。