いろいろ難しいことをいう向きもありますが、レポートというのは、やった中味、考えた中味が、相手(今回の場合、直接的には教員ですが、もう少し大きく、たとえば10年後の自分を考えてもらってもいいです)によく伝わるように書けばよいのです。したがって、みなさんにそうした才能があるならば、新しいレポートの形式を編み出してもいいのです。たとえば、望むなら、対話形式で書いても良いわけです。実際、昔、昔、科学論文が対話形式でも書かれた時代がありました(ガリレオの「新科学対話」、あるいは化学の先達ではボイルの「懐疑の化学者」など)。
しかし、そういう新しい形式・文体を生み出すのは、極めて困難な仕事です。今、みんなに推奨しているレポートの形式(大まかに言って、「目的」「方法」「結果」「考察」の4部構成)は、世界的にも広く用いられ、いろんなタイプの研究報告に適用可能な柔軟さを持っています。そして、それにならって書かないと、関係者に読んでもらえない世の中になっています(先生によっては、書き直し命令がでる可能性大)。したがって、一応は、世間で通用しているスタイルで書く練習を、この際やってくれることを期待します。
みなさんのレポートで、よく混乱が見られるのは、「方法」と「結果」の記述です。
「方法」を「テキスト参照」とばかりに何も書かない人も時に見うけられます。ぼくは、
①操作の意味を再度確認し
②レポートだけで何をやったかある程度わかるようにする、
意味で、レポートに実験の方法についての記述をすることは大切であると考えます。しかし、だからといって、これもよく見られますが、テキストの丸写しに近いような記述は冗長です。学生実験のレポートでは、「方法」はできるだけ、そのエッセンスを書き出して、その詳細は「結果」の中で浮かび上がってくるという書き方がよいと思います。といっても「何がエッセンスか」というのは、人それぞれです。実際に書いていると、使うビーカーの容量まで、すべて落としてはならない論点のように思えてくるものです。こうした時、ぼくがお勧めしたいのは、「いろいろある内のどの方法を使ったか」「不可能のように見えることを、どうやって可能にしたか」を、思い浮かべることです。
たとえば、今回の容量分析を取り上げてみましょうか。鉄の容量分析には、今回の酸化還元滴定の他に、キレート滴定を用いる方法もあります。だから「酸化還元滴定」であることは、落とせません。また「酸化還元滴定」でも、ヨウ素滴定を用いる方法があります。ですから過マンガン酸カリウムを使ったことは落とせません。ここらへんで打ち切るなら「方法」としては
モール塩の容量分析は、過マンガン酸カリウムを用いた酸化還元滴定によった。
という記述になります。これにさらに、標定に用いる標準物質にシュウ酸ナトリウムを用いるような方法もありますから、ここで手を打てば
モール塩の容量分析は、シュウ酸を標準物質とした、過マンガン酸カリウムを用いた酸化還元滴定によった。
といった具合になります(今回の場合はこのあたりで十分)。ここで「シュウ酸と過マンガン酸カリウムの反応は遅いはずなのに」という疑問に応える必要を感じれば、
モール塩の容量分析は、シュウ酸を標準物質とした過マンガン酸カリウムを用いた酸化還元滴定によった。標定に際しては、加温して反応を促進させる。
といった風に書けばいいのです。こうやって記述を膨らませていけばよいのですが、これを冗長にならないように、どこで打ち切るかは問題です。まさか「実験は当日の木星の位置と無関係に行う」といったことまで書く人はいないと思いますが、ここは、みなさんの化学に対する“常識”“良識”に期待するところです。
記述が冗長に流れないように、注意しましょう。
むやみと長い文は避けましょう。いくつかの原因を列挙する場合など、箇条書きにしましょう。またメリハリを付ける上で、小見出しを付ける([ルツボの恒量化][過マンガン酸カリウム溶液の標定]など。なおこれも付けすぎるとかえってわずらわしいので注意)、得られた数値を表にするといったことは、よい心がけです。
こうした基本的な技法とともに、結果を再構成することに意を注いでください。「結果を再構成」というのは、「結果の捏造」ではありません!実験ノートに書いてある事を、順に清書したようなレポートではなく、推理小説でいえば、最後の一章、関係者一同集まっての大団円を書くつもりになってほしいのです。特に例年、滴定値からの物質量の計算の記述が、冗長になるケースが目につきます。逐一、同じ式を出して代入を繰り返す愚は避けましょう。まず全体を見渡した数式を立てて、それに基づいて記述した方が、叙述が簡明になると思います。
とにかく、結果をよく眺めて、コンパクトに結果をまとめるよう努力してください。そうした作業は、自分の実験結果の新しい側面を見いだす上でも、大事なことです。
現象の定性的な側面に注意を怠らないようにしましょう。モール塩の合成の際、鉄を溶解させた時に発生した気体は、どんな臭いがしたでしょうか?煮詰めすぎて、白い沈殿ができて困ったりはしなかったですか?硝酸で酸化する時、ちょっとくすんだような色が出なかったですか?ルツボに煤が付いて困ったりはしませんでしたか。また時どき、原料に用いた鉄を、ただ単に「鉄屑」としか書いていない人がいます。どんな「鉄屑」だったのでしょう。学生にもいろんな学生がいるように、教師にもいろんな教師がいるように、「スチールウール」にも、いろんな「スチールウール」があるはずです。
そうした、現象や“もの”にもっと目を向けてください。実験ノートに数字ばかり並んでいるのは感心しません。そうした観察を抜きにして、出てきた数字がおかしいといって、ああでもないこうでもないと、いろんな議論を捏ね上げるのは控えましょう。この実験の目的には、「物質の変化のありさまに親し」むことがあるはずです。出てくる数字も大事ですが、扱ったものの個性、現象に、もっと暖かいまなざしを期待したいのです。
「少し」「たくさん」「ある程度」。こういった言葉には、注意しましょう。どれくらい「少し」あるいは「たくさん」なのか。どの「程度」なのか。そういった問いかけぬきに、安易にことばを連ねる傾向が、例年目につきます。こうしたことばは、当たり障りのない官庁向けの作文には便利ですが、化学のレポートにはお勧めできません。
モール塩が少ししか取れなかった、理論値からはずれてしまった、と嘆くのはかまいません。けれどもそうした時に「どれぐらい」しか取れなかったのか、「どちらの方向に、どれだけ」はずれたのかを、もっとリアルに見つめるまなざしを持っていてくれることを期待します。同じように、人生を問い詰めていった時、どうしても「ある程度」といった言葉でしか語れないことに出会うもののように思います。しかしそうした時でも、やはりそれが「どの程度」なのかを問う姿勢だけは、持ちつづけていて欲しいと願っています。
最後に、しばしば有効数字の扱いについて混乱があるようなので、付記しておきます。
有効数字が 3 桁の量に掛け算(割り算でも同じことだが)を施した時 1 をわずかに越える数値になったとしましょう。この時、やはり結果も 3 桁に丸めるべきかどうかという問題です。
話を具体的にするために、(5.01 - 4.97) ×2という計算を、有効数字の計算の原則を単純に適用してやってみましょう(2 には誤差がないとする)。まずこれをばらして考えると、(5.01 - 4.97) ×2 = 10.0 - 9.94 = 0.1 です。けれどもまずカッコ内を計算すれば、0.04×2 = 0.08になります。あるいは (1.02 - 0.05) ×1.07という計算をやってみると、ばらせば1.09 - 0.05 = 1.04となり、カッコ内を先に計算すると0.97×1.07 = 1.0。これはなぜでしょう?
こうした問題は、主に掛け算(割り算)では相対誤差が問題になっているのに、足し算(引き算)では、誤差の絶対値が問題になっていることに由来します。厳密な取り扱いは厄介ですが、こういうことを考えてみてください。
①有効数字では、1.00 から 9.99 まで、誤差の絶対値は同じ(0.005 程度)と想定している。
②相対誤差は、1.00 から 9.99 までその対数に従って変化する。
③典型的な数値として 5.00 をとると、log10 a = log10 5 - 0.5、として a(= 1.58)で有効数字の桁を変化させれば、有効数字の掛け算(割り算)の誤差の不連続性を小さくできる。
人によって方針は若干違いますが、掛け算(割り算)の時、1 から 1.5 の間では、有効数字を 1 桁余分に書くという人が多いようです。こうした問題があるので、有効数字がいろいろからむ演算結果について正確なところを議論しようとすると、“有効数字”より、もっと定量的な形で誤差を評価してやることが必要になることを、記憶に留めておいてください。