1990年、化学教室での学生実験の分析化学に関する課題・方式が大きく変更されました。 この改訂で、重量分析を中心としていた旧来の課題設定は面目を一新し、課題を終えての発表会もこの時から始まりました。 ここで組み込まれた課題に、「身近なものから物質を合成し重量・容量分析を行う」というものがあります。 スチール缶から出発して、鉄の3価であれば鉄ミョウバン、2価であればモール塩がとれることに注目し、鉄ミョウバン・モール塩、2つの課題を選択の形で平行して走らせ、 97年からは合成の容易さからモール塩のみに切り替えました。

この課題については、最近になって、得られるモール塩の純度が出発原料によっては低くなる ことが明らかになり、現在根本的な再検討を求められているところです。ここでは この「モール塩の合成と分析」の課題に関わって、これまで調べたりしたことなどを記しておきます。


2001.8.13.

「モール塩の合成と分析」ノート

吉村洋介

モール塩とは

硫酸鉄(II)アンモニウム六水塩、Fe(NH4)2(SO4)2・6H2O のことで、硫酸鉄(II)と硫酸アンモニウムの混合溶液から析出してくる青い結晶。鉄(II)の塩の中では、空気中で最も安定なものの一つ。文献的には、1834年のvon Vogelの報文[Vogel] でモール塩の存在が報じられている(これに先んじてMarxが言及[Marx] していたとのこと)。これをMohrが容量分析で標準物質として採用して[Mohr] 、"Mohr 塩" (Mohrsches Salz, Mohr's salt) と呼ばれるようになった。同型の結晶に、硫酸マグネシウムアンモニウム六水塩など多数知られており、タットン塩と総称される。

モール塩の合成

モール塩の合成は、スチール缶などの身近な金属の鉄くずを硫酸に溶かすところから始まる。この硫酸鉄(II)の溶液に硫酸アンモニウムの懸濁液を加え、析出してくる結晶を採取、再結晶してモール塩をえる。

鉄の硫酸への溶解

用いる金属鉄の種類によって、さまざまな現象が見られる。釘やスチールウールを用いた場合には、溶液は黒くにごる。この黒い粉が炭素であり、通常の「鉄(鋼)」が鉄と炭素からなることに目を向けさせる。 ステンレス(特にSUS304などの18-8ステンレス)は、モール塩の材料としては適当ではないが、当人が希望するなら、そのまま実験を遂行させる。

また発生する気体の臭いに注意。水素ならば臭いがないはずだが、実際には臭いがある(硫酸のミストや、硫化水素、ホスフィンなどの他、メルカプタンなどの有機化合物の発生が予想される)。

溶解を促進させるため、通常、硝酸を加えるのが有効だが、ステンレスなどでは不働態になってかえって溶けにくくなる。また硝酸を加えた際、溶液が一時的に黒くなる(ニトロシル錯体の生成)ことにも注意をさせたい。

硫酸鉄(II)の溶解挙動

硫酸鉄(II)は温度を上げていくと、7水塩から4水塩、1水塩となり、溶解度が減少するようになる。 また硫酸鉄(II)は、高濃度の硫酸には溶解しにくい。詳細はこちらを参照。

今回の合成で、鉄を溶かした溶液を濃縮する段階で、濃縮しすぎるとFeSO4・H2O(あるいは二水物?)の白色沈殿が析出してくる。 沈殿の析出に気づいて、ただちに水を加えた場合には、大きな問題にならない。しかしそのまま加熱濃縮を続けると、硫酸濃度・沸点が上がり、白色沈殿がどんどん析出してくる事態となる。この白色沈殿が析出した溶液を冷却しても、一端析出したFeSO4・H2Oは、容易には溶解しない。

こうした場合には、沈殿や炭素粉などをろ別せず、白色沈殿が析出しているところへ、硫酸アンモニウムの懸濁液を直接加える。この液をよく撹拌しながら加熱し(この時どのような変化がおきるかを、観察させる)、溶液を熱時ろ過して冷却、モール塩を析出させ採取する。 この手法によっても、モール塩の収量はさして変わらないようである。

モール塩の乾燥

通常、モール塩は空気中に放置し乾燥させる。この空気乾燥の代わりに、2001年度は器具乾燥機を用いて、60℃で1~2時間加熱乾燥させることにした。 モール塩は60℃程度では、容易に結晶水を失わないとされている。現在実験室にある器具乾燥機は、2つあるスイッチのうち1つだけを入れた状態なら、室温が20℃付近のとき、最下段で60℃、中段で55℃程度であったので、モール塩の乾燥に十分使用できると判断した。

温度を上げていった時、モール塩は100℃ぐらいから急速に結晶水を失い、分解するようになる(詳細はこちら )。 今回、器具乾燥機を使って、モール塩の乾燥をしてもらった。たいていの人は問題なかったが、中に一部、茶色い部分ができた人があり、温度が上がりすぎていたケースがあったかもしれない。ただし中性~塩基性の溶液状態では鉄(II)の酸化が進みやすいので、こうした茶色い部分が認められたのは、モール塩の水切りが不十分で、水が蒸発してしまう前に、溶液状態で酸化が進んだ可能性もある。

ただし分析結果は、空気乾燥させていた従来のものと大差なく、モール塩の乾燥の方法がモール塩の純度に及ぼす影響は、学生実験で問題にする精度の範囲では無視できる。

鉄(II)の空気酸化

鉄(II)の空気酸化の式

2Fe2+ + (1/2) O2 + H2O → 2Fe3+ + 2OH-

からは、塩基性にした方が酸化が抑えられそうに見える。しかし鉄(II)はpHが高くなる(塩基性になる)ほど、空気酸化を受けやすくなる。 このことは、塩基性条件下で生成するFe(OH)+と酸素の反応が速いためであるとされている。

現在のテキストで再結晶溶媒に、水ではなく希硫酸を指定してあるのは、空気酸化を防ぐためである。容量分析で用いるモール塩溶液に、硫酸を入れるのも、このためである。 硫酸を加えないと、鉄(II)が空気酸化を受けて液性が塩基性となり、そのことによってさらに空気酸化が進み、鉄の水酸化物あるいは硫酸鉄の塩基性塩の沈殿が生じて、溶液が濁ったりする。 このようなケースを見かけた時は、硫酸を添加するよう指導する。再結晶の場合に酸化が進んでいる場合には、鉄片を加えて還元させる。

モール塩の分析

容量分析での注意点

過マンガン酸溶液は色が濃いので、ビュレットのメニスカスを読むとき、液面の上端で読むように指導する。 また過マンガン酸カリウムを十分溶解させないまま操作しているケースがたまにある。 過マンガン酸溶液を調整する際、直接試薬ビンに水と結晶を入れて溶液を調製しようとしていないかチェックする (ビーカーで溶解させてから、試薬ビンに移すようにすれば、未溶解の結晶があれば、ビーカーの底に結晶が残るのでこのミスは防げる)。

なお、過マンガン酸によるシュウ酸の酸化反応

5H2C2O4 + 2MnO4- + 6H+ → 2Mn2+ + 10CO2 + 8H2O

は、かなり複雑な反応で、自己触媒の例としてもよく知られている。たとえば最初に硫酸マンガン(II)を加えておくと反応が加速され、あるいはフッ化物イオン(マンガン(II)と錯イオンを作る)を加えると反応が抑制される。通説では、マンガン(II)と過マンガン酸からマンガン(III)ができ、これがシュウ酸との反応を主に担う試剤であるということになっている。また中間にラジカルが発生するので、わずかながら溶存酸素の影響も受けるという。

重量分析での注意点

硝酸による酸化の際には、十分溶液が温まっていること(わずかに沸騰するぐらい)が必要。溶存する空気が気泡となって現れたのを、沸騰と誤解して加熱を止めているケースもあるので、十分加熱するように注意する。 なお酸化の操作の際の色の変化(硝酸を加える際に、黒ずんだ色が現れる→ニトロシル錯体の生成。反応が終わった後、黄色い溶液になる→クロロ錯体の生成)にも注意を促すのが望ましい。

ルツボの秤量の際に、熱いままだと軽めに秤量値がでるので、十分放冷させるように指導する。 実際に放冷による重さの増加を調べてみたところ、0.1 mg まで落ち着くのに40分を要した。これは成書[コルトフ] に紹介されている[Agterdenbos] ところと同程度。

沈殿を焼くときに、ろ紙を乾燥させてから蒸し焼きにすると、ルツボの蓋などに煤がついて、焼却に時間がかかるようである。 ろ紙が濡れたままただちに、焼却操作に移った方が結果がよいようだが、そうでないケースもあり、さらに検討が必要。

なお焼いたルツボをデシケーターに移すとき、灼熱状態でデシケーターに入れると

といったことが起きるので、三角架の上でしばらく放冷する(「手をかざして暖かいぐらい」になるまで)ように指導する。 加熱の際に炎をゆっくり強くするのは、さほど効果がないようである。

モール塩の純度

ここ5年ばかり、容量分析の結果が思わしくない(純度98%程度で、かつ重量分析結果より、鉄含量が系統的に低めに出る)状況が続いていた。 今年、2001年になって、この原因がわかった。ホッチキスの針からモール塩を作ると、純度が低くなるのである

この課題を設定した当初、予備実験はスチール缶(今はなきキリンのJIVE)で行い、スチールウールやホッチキスの針が合成原料となることを予定していなかった。 そして実際、5年程前まで多くの学生はスチール缶を出発原料としていた。

こうした事情がここ数年大きく変化した。「身近な廃品から何かものを作ろう」という雰囲気がなくなって、「速く溶かして課題を済まそう」ということになったといえようか。 そうしたことから、ホッチキスの針やスチールウールが盛んに使われるようになってきたのだが、それが思わぬ結果をもたらした形である。

まだ確定的ではないが、ホッチキスの針に使われている鋼種のマンガンの含有率が高いことが、分析値を下げている原因として最有力である。 マンガンは、鉄同様にタットン塩を作ることが知られている(温度が上がると不安定で、50℃では2MnSO4・(NH4)2SO4が安定となるらしい)。 このため、マンガンが共存しているとモール塩を再結晶で精製するのは難しいようだ (このことは化学大辞典に記載があり、以前の発表会でも触れられていたのだが、そのことの意味に気づかなかったのは当方の不覚、あるいは傲慢と言われてもやむをえない)。 そして、重量分析と容量分析の結果の違いは、重量分析で沈殿作成の際にマンガンが鉄と共沈する(マンガンは鉄とスピネルを作る)ためとして理解できる。

この「マンガン主因説」について、今回の課題で余ったモール塩に対して、マンガンの定性分析を試みた(過硫酸による酸化)が、結果は陰性だった。 この方法の検出限界が5 ppm程度らしいが、用いたモール塩の量(ほぼ1 wt% 溶液)からいうと、マンガンは鉄の0.3%以下の含量だったことになる。 モール塩のサンプリングに問題があった可能性もあるので、また機会があればテストしてみたい。 なおホッチキスの針の組成について、マックス株式会社に問い合わせているが、まだ返事がない。

References

[Mellor] J. W. Mellor, "Comprehensive Treatise on Inorganic and Theoretical Chemistry", Vol. 14, Longmans, 1935.
[Gmelin] Gmelins Handbuch der anorganischen Chemie, Eisen [B] 8 auflage, Verlag Chemie, 1932.
[Vogel] H. A. von Vogel, J. prakt. Chem. (1), 2, 192 (1834).
[Marx] C. M. Marx, Schweigger's J. 54, 466 (1828).
[Mohr] C. F. Mohr, "Lehrbuch der chemisch-analytischen Titrirmethode", Braunschweig, P. 169 (1870).
[コルトフ] コルトフ、分析化学III、廣川書店(1975)。原著は"Quantitative chemical analysis", 4th ed. Macmillan, London 1969.
[Agterdenbos] J. Agterdenbos, Anal. Chim. Acta 15, 429 (1956).


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