溶液反応の平衡定数の温度依存性の話をしてきたわけですが、 念のため、 濃度にもとづいた標準状態を取った場合と、組成比、質量モル濃度にもとづいた場合の表式をまとめておきましょう(試験に出る!?):
濃度にもとづいた標準状態を取った場合のファントホッフの式 \begin{equation} \pdifA{\ln K}{(1/T)}{P, N_k} = -\frac{\Delta_\mrm{r}H^\circ}{R} + {\sum_i {\nu_i}} \alpha T^2~~\mbox{あるいは}~~ \pdifA{\ln K}{T}{P, N_k} = \frac{\Delta_\mrm{r}H^{\circ}}{RT^2} - {\sum_i {\nu_i}} \alpha \label{eq:vanthoffx} \end{equation}
ここで \(\sum_i {\nu_i}\) は反応にともなう量論係数の変化(A + B ⇌ AB であれば -1)、\(\alpha\) は溶媒の膨張率 \((1/V) (\partial V/\partial T)_P\) です。
組成比、質量モル濃度にもとづいた標準状態を取った場合のファントホッフの式 \begin{equation} \pdifA{\ln K}{(1/T)}{P, N_k} = -\frac{\Delta_\mrm{r}H^\circ}{R}~~\mbox{あるいは}~~ \pdifA{\ln K}{T}{P, N_k} = \frac{\Delta_\mrm{r}H^{\circ}}{RT^2} \label{eq:vanthoffy} \end{equation}
濃度にもとづく標準状態を取った時、ファントホッフの式に \(\alpha RT^2\) という寄与が現れるのですが、 たいていの場合、この寄与は無視できる大きさです。 室温で通常の有機溶媒の膨張率はおよそ 10-3 K-1 ですから、 室温付近で \(\alpha RT^2\) は 1 kJ/mol に満たない大きさで、水なら膨張率はさらに小さく、 0.2 kJ/mol ぐらいです。 反応のエンタルピー変化の実験データの不確かさが数 kJ/mol であることはめずらしくなく、 誤差に埋もれてしまいかねず、 「補正項」とされていることさえあります。 けれどもこの項には、明確な熱力学的な出自があり、 ないがしろにはできない存在です。
かつては濃度平衡定数 \(K_c\)、質量モル濃度平衡定数 \(K_m\) といった表現がよく用いられており、 その表現を見ただけで標準状態の取り方の区別は容易でしたし、その差はよく認識されていたと思います。 それがあからさまに単位を含まない熱力学平衡定数(標準平衡定数)の使用が一般的になってきて、 見過ごされるようになってきてはいないでしょうか。 また濃度にもとづいた標準状態を取ると生じる「補正項」を厄介者のように見なしたか、 公的にもすべて質量モル濃度にもとづいたものにしてしまおうとする動きがあります。 そしてそこに便乗して、初等的な教科書類では、あからさまには標準状態の取り方に触れずに標準平衡定数 \(K^{\circ}\) を登場させ、 問題と向き合うことを回避する姿勢を取ったりしているようです。 しかしそうした取り扱いでは、実際のデータの処理に当たって混乱が生じ(モル濃度を取るか?質量モル濃度を取るか?)、 また何より前章で触れたような、 エンタルピー変化あるいは平衡定数自体の内実を見ない危うさがあるように思います。
ともあれファントホッフの式について、 長々とお話してきたわけですが(年寄りの話は長くてくどい)、 例によってとんでもない思い違いや誤りがあるかもしれません。 その分にはいろいろご指摘、ご教示いただければ幸いです。