いちょう No. 99-24 00.4.27.

さる3月30日、自民党文教部会の中の高等教育研究グループ(麻生グループ)が、国立大学のあり方についての提言を発表しました(この提言について、案の段階で化学の吉村(洋)さんに「独立行政法人と『21世紀の大学像』答申の“幸せな結婚”」と題するコメント を寄せていただきました[いちょうNo. 99-23、00.3.30])。これで自民党文教族-文部省ラインの方針は、ほぼ固まったと見てよいでしょう。これからの局面は、国立大学の独立行政法人派と民営派、さらに「第3の道」派のせめぎ合いとなりましょうか。今回のいちょうでは、昨日、4月26日に職組本部で行われた学習会での、岡田前委員長の講演などを元に、昨年9月来の動きを、少しまとめて紹介します。


国立大学の独立行政法人化の現局面

国大協内部の深刻な対立と政治の登場

文部省は昨年9月20日、有馬前文部大臣の最後の一仕事という格好で、国立大学の独立行政法人化をめぐって「検討の方向」を発表。独立行政法人制度を、学長人事を大学に大幅にゆだねる、などの“特例”を「個別法」の中に盛り込む形で呑む方向を示しました。文部省としてはこの線で国立大学全体の合意を取り付け、政府部内(特に行政改革推進本部など)での調整に進む腹づもりだったようですが、国立大学の足並みが乱れ、目算どおりにはいかなくなりました。11月の国立大学協会(国大協)総会でも意見が割れ、その後の記者会見でも蓮見会長(東大総長)が個人的な見解を披瀝したに止まりました。実際、国大協副会長たる、われらが長尾総長も「意見がまとまらない」と称して、寝たふりを決め込んでいます[いちょうNo. 99-17、99.12.24。 総長の年頭所感も参照]。

この国立大学内の足並みの乱れですが、この間の動きの中で、おおよそ4つのグループに分かれてきていると言ってよいようです。1つは東大。東大は元来発言力も大きく、総長のパーソナリティーもあってか、独自に批判的な見解を開陳しています。次に位置するのは、東大以外の旧帝大グループ。ここは今の京大が代表格で、一部名大などに動きがありますが、もっぱら沈黙。3番目がいわゆる中核大学と称されるような大学。ここは独立行政法人化をチャンスと見て勢力圏の拡大(たとえば広島・島根・山口で“毛利大学”、新潟・山形・富山といったあたりで“上杉大学”といった戦国時代の群雄割拠を思わせる構図さえ窺えます)を謀る。最後に鹿児島大学や高知大学といった人文系の強い地方大学。ここでは独立行政法人化に対する原則的な批判が有力です。

国立大学内部で収拾がつかないため、文部省は今年に入って内部調整をあきらめ、自民党に下駄を預けて事態の収拾を図る動きに出ました。自民党の文教部会の高等教育研究グループ(麻生委員会)は、2月下旬あたりから学長クラスを呼びつけて精力的にヒアリングを行い(長尾総長も2月24日にヒアリングを受けました)、先月30日に提言をまとめました。この間の自民党の高等教育研究グループの検討の内容については、逐一、文部省から各国立大学に配信されており、文部省は自民党文教族-文部省ラインの結束を誇示しました。

自民党の高等教育研究グループ提言とわれわれの課題 ――― 「第3の道」の可能性

自民党の高等教育研究グループ提言は、「国立大学法人」を持ち出したりして苦しい言い回しをしていますが、基本的には独立行政法人通則法と特例法をセットにしたものの推進を謳っているといってよいでしょう。そしてその理念は、前号の吉村(洋)さんのコメントにもあったように、大学審議会の98答申(「21世紀の大学像」)と行政改革ラインの結合です。これまで「行政改革」⇒「独立行政法人化」だったので、大学の先生方に評判が悪かった。だから「高等教育政策」⇒「独立行政法人化」といった線で攻めましょう・・・という風にも読めます。

“政治”が前面に出てきて、現在、さまざまな「陳情集団」が生まれロビー活動を繰り広げています。そうした運動も重要ですが、現在われわれにとって大事なのは、空前の規模の署名運動を作り上げた「独立行政法人化反対」の後に、何を掲げるかであるように思われます。そろそろ「現行の国立大学制度の維持」ではなく、「本来あるべき大学法人制度論(第3の道)」の打ち出しの時期ではないでしょうか。現に東京大学では総長の指示の下、大学法人制度の検討が進められています(「国立大学法人制度研究会」)。目先の第3キャンパスには熱心だが、独立行政法人化について無為無策の京大首脳部をして、お題目のように唱えられる「学長のリーダーシップの強化」に替わる、大学の本来のあり方に目覚めさせるようなインパクトのあるプランが出てきてよいはずです。

今は独立行政法人化勢力とのせめぎ合いがクローズアップされているようですが、これはいわばお互い政府関係者・大学関係者の間での話。コップの中の争いといってもよいように思います。これからは民営化勢力も舞台の前面に登場してくるでしょう。すでに自民党内でも私学問題検討会などが動きを強めているとの情報もあります。そうなった時に「なぜ国立か?」という問いかけは、より厳しく問われることになるでしょう。そうした時、大学は、学問は社会に対してどうあるべきか。その中で公務員であるということはどういうことか。若者は何を求め、われわれは何を与えるべきか。人間にとって学問とは何か。さらに人間はどうあるべきか。そういった「学問の自由」という使い古された言葉の背景にまで立ち入った議論がなければ、多くの人の納得はえられないでしょうし、何より国立大学の現実を間近に知るわれわれ自身、心の深いところで納得できないでしょう。


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