いちょう No. 95-24 96.6.6.、No. 95-25 96.6.20.

前のいちょうでも紹介しましたが、以前、教官部会で出していた「理学部評論」(No.3、75年1月11日発行。20年前!)に掲載された玉垣さんの任期制についての論文は、今日的に見ても貴重な論点を含んでいます。いちょうでは、今号と次号に分けて、玉垣さんの論文を再掲載することにしました。なお、この時話題になった任期制は、「教官の待遇改善」という文脈から、国立大学協会(国大協)によって行われたものでした。そうした当時の背景についての、玉垣さん自身による解題 は、別に紹介します。


任期制を考える

玉垣 良三


1.はじめに

1974年3月、国大協第6常置委員会は、「国立大学教官等の待遇改善に関する報告書(案)」(以下では第6常置委案と略記)について、まだ国大協の成案に至らない段階で各大学に急いで意見を求めてきた。昨年11月25、26日の日教組中央行動の一環として行われた国大協との交渉の中で明らかにされたところでは、この案は待遇改善に止まらない多くの問題を含むので国大協で尚検討中であるが、委員長の都留重人氏は各大学から提出された意見を並記する形で第6常置委案を文部省の「調査会」に持込んでおり、11月下旬から審議開始とのことである。

第6常置委案は、待遇改善の前提に国立大学教員の地位の重大な変更を含み、その中心に任期制をおいている。任期制の提言は必ずしも目新しいものではないが、第6常置委案に示されている任期制には、教育・研究者の基本的権利を損う危険性を感じる。また、自然科学分野のいくつかの共同利用研究所(例えば、基礎物理学研究所、原子核研究所など)において、人事交流を活発にするために研究者が自らに課してきた任期制との異和感も強い。任期制と一口に言っても、基本的な視点や実質に違いが相当あると思われるので、今一度任期制を考えてみたい。

2.任期制で前提となるべきこと

上記の共同利用研究所で20年近くにわたって続けられてきた任期制は、すぐれた研究成果をあげていた素粒子論の若い研究者たちが、新しい学問分野になかなか門戸を拡げようとしなかった当時の大学の閉鎖的人事に対して、全国研究者の自主的運営のグループ組織をつくると共に、人事の公募制と任期制を打出したことにはじまる。研究室の固定化を排し常に創造的活力を保つための人事交流を目指したこの任期制の背景には、科学者の基本的権利を互に認め合い、それを研究者グループの民主的運営で保証するという共通の基本理解があった。研究者がこのような運動の過程でつくった任期制においては、研究者の自治に基づいた科学者の基本的権利の尊重は、いわば大前提であった。任期制といえば、まず大学教員の不利益処分に対する身分保証の根拠を与えている教育公務員特例法(教特法と略記)との関係がよく問題にされるが、上述の前提のもとでは、教特法は自明の法的基盤であり、任期制は研究体制の一歩前進の為の紳士協定と位置づけられてきた。

任期制の本質を区別するもっとも重要な尺度は、その任期制の前提に、学問・教育の自由を保証するために大学教員の身分保証を定めた教特法の理念があるかどうかであろう。

3.第6常置委案と教特法

第6常置委案では、任期制の採用を待遇改善の主張の柱としているにも拘らず、論理的に直接かかわるはずの教特法への言及は全然見当らない。(若干の法律改正を必要とするとの記載があるが、内容は何ら述べられていない。)この本質的な点が回避されている所がまず問題である。

しかし、推測が入るが次のように考えると、文章表現上で“工夫”されているように思われる。教特法の第5条(第6条)では、「学長、教員及び部局長は、大学管理機関の審査の結果によるのでなければ、その意に反して転任(免職)されることはない。」となっている。第6常置委案では、講師以上を「教授」として扱い、任期8年再任可とし、部局毎の詮衝委員会の報告にもとづいて当該大学管理機関(実質的には、この「教授」よりなる部局教授会であろう)が任用候補者を決定するとなっているので、ここでは文言上教特法と矛盾しない。しかし助手の場合は再任不可の任期制であるから、明らかに教特法と矛盾するが、研究助手を「研究員」(MC終了後6年、DC終了後3年の任期)と名称を変えているので、この「研究員」は教特法の教員に位置づけられているのかどうか曖昧である。いずれにせよ、この「研究員」は現在の助手に比して著しく身分の不安定なものであることに間違いはない。他方、現行の講師以上に対応する「教授」に適用される再任可の任期制は、第6常置委案で「・・・・・・民主的かつ適切な詮衝制度・・・・・・」と表現されている民主的かつ適切の内容そのものに依存することになる。

4.任期制のもつ注意すべき側面

現在実行されている任期制の中には、助手のみに任期制(再任不可)を課するという場合がある。これは、第6常置委案の「研究員」の任期制と性格上同じである。2.で述べた共同利用研究所で実行されてきた任期制では、教授まで再任不可として行われてきた。(高年齢になるに従って住居の移転に伴う負担がより重くなるという生活条件の問題は深刻であるが、別の次元で解決されるべきことである。)現在の職階的システムのもとで、下にのみ厳しい任期制は、教育と研究を進める共同体としての重要な精神的基盤を培う上で問題があり、民主的運営が不徹底な場合には、支配の道具に転化しかねない。

科学者の基本的権利の尊重という大前提がひとたび崩れるときには、任期制の維持が自己目的となって本来の目的からはずれ、任期制は科学者の基本的権利のみか生活権まで脅かす敵対物に転化していく。任期制が教育・研究活動の向上のための人事交流の促進という本来の目的を達成するためには、何よりもまず科学者の地位の確立がその前提になければならない。

この意味で、1974年秋ユネスコの総会において決定された「科学研究者の地位(Status of Scientific Researchers)に関する勧告」1) は、重要な意義を持つものである。しかし、この勧告案の作成過程において日本政府(文部省の機関として設置されているユネスコ国内委員会に外務大臣が諮問し、その答申が基礎となる)の態度は、消極的である以上に否定的である2) 。このような状況であるから、任期制が積極的な意味を持ちうる条件の検討なしに、個々の任期制の是非を論ずるわけにはいかない。

参考文献

1) 「日本の科学者」77(1974), pp.21-29.
2) 岡倉古志郎,「日本の科学者」80(1974), pp.22-23.


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