2021.9
吉村洋介

4.物質量とその周辺

物理量の表現について見てきたわけですが、 ここでは化学と特に関係の深い物理量、 物質量とその周辺の話題について、少し詳しく紹介しておきましょう。

4-1.物質量のこと:単位 1 の物理量

物質量(amount of substance)というのは、 元来は化学量論と結びついて登場した概念です(“化学当量”)。 「硫酸 48 g を中和するのに水酸化ナトリウム 40 g 必要だった。 一方水酸化ナトリウム 40 g で、酢酸 60 g が中和された。 硫酸 48 g は酢酸 60 g と等価だ」 といったことから、 物質それぞれに重さあたり何か固有の”量”があることが想定され、 それが「当量」「物質量」というものとして認識されるようになったわけです。 ただし物質量という名称は「物質の量」と見なされ、 しばしば物質の重さや体積と誤解されることがあり、 以前は「モル数 number of moles」と呼びならわしていたこともありました。 けれども質量を「グラム数」と呼ぶようなもので廃れて、 「物質量」で通すことになっています (今日的には「モル数」は ISQ の立場から認められません。 なお英語ではしばしば amount-of-substance とハイフンでつないで、1 語として扱われます。 また冗長なので "amount-of-substance concentration" を単に "amount concentration" としたりします)。 ただしもっと気の利いた名前にしようという動きはあり、 その内、模様替えがあるかもしれません

さてよくご存じのこととと思いますが、物質量は今日的には「要素粒子の数」として定義されています (日本語では「要素粒子」となっていますが、 英語では「elemental entity」。 「粒子」というよりもっと抽象的な概念、「もの」とでもいった方が当たっています)。 つまり元来は単位が 1 の物理量です。 mol は単位 1 の物理量についての単位なので、いささか混乱することがあります。 たとえば次のような高校生(中学生?)向けの問題を考えてみましょう。

水分子の質量

【問題】アボガドロ定数 NA = 6.0 × 1023 mol-1 とする。
H2O のモル質量は 18 g/mol である。 H2O 1 分子の質量はいくらか?

【答え】  (18 g/mol)/NA = (18 g/mol)/(6.0 × 1023 mol-1) = 3.0 × 10-23 g

これで何の問題もないように見えます。 けれども次のような計算をして見せる律儀な高校生もいるでしょう。

【別解】
1 mol = 6.0 × 1023/NA
18 g/mol = 18 g/ (6.0 × 1023/NA) = NA 3.0 × 10-23 g

NA はどうしたらいいの!」

この計算、何も間違っていませんよね。 でも最後に出てくるアボガドロ定数はどうしたらいいんでしょう? ここに NA = 6.0 × 1023 mol-1 を代入しても、 元の木阿弥、18 g/mol が出てくるだけです。

実は NA = 1 なのです。 実際、1 mol = 6.02214076 × 1023 なのですから、 NA = 6.02214076 × 1023 mol-1 = 1 が成立します。 教科書では「アボガドロ数 6.02214076 × 1023」としておいて、 さらりと「アボガドロ定数 NA」へ、 あたかも同じもののように記述されることが多いのですが、 何か違和感を感じる生徒・学生は多いのではないでしょうか。

同じことは例えば「熱の仕事当量」J = 4.184 J/cal についても言えます(ここでは熱化学カロリーを採用)。 もともと仕事当量 J は、された力学的な仕事 W と発熱量 Q の間の比例係数で、 W = J Q です。 今日的にはエネルギー保存則から、W = Q ですがこれは、J = 1 という主張になっています。 仕事当量では J/cal とはっきり単位の比であることが明示されるのですが、 アボガドロ定数では、個数の単位というのが 1 で明示されないために、 より混乱が大きいようにも思います。 個、本、匹、枚など助数詞を持つ文化圏のわれわれとしては、 個数を表す単位( [個]。"ko"? )を導入することを積極的に進めていいかもしれません。

4-2.原子量の変動範囲表示と常用原子量

最後に物質量と関わって、化学になじみ深い原子量について見ておきましょう。 原子量は 12C 原子の質量に対する比で定義されており、 同位体の天然存在比を考慮して定められています (この意味で「相対原子量」と呼ぶことを推奨する向きもあります)。

この原子量に関わって、現在、14種の元素について変動範囲表示が採用されているのはご存じでしょうか (IUPAC の原子量および同位体存在度委員会 CIAAW。 2021年5月に鉛 Pb が追加され13種から14種になった)? たとえば塩素の原子量は [35.446, 35.457] のように表されています (以前は [35.446; 35.457] とセミコロンが使用されていました)。 おそらく皆さんのお手元の、少し権威ある原子量表や周期表には、 こうした表示が採用されているはずです。

この変動範囲表示の取り扱いに関わっては、次の点に注意します:

また変動範囲表示を用いた分子量の計算は、次のように行われます (変動範囲表示の有効数字の扱いにおいて、下限値については端数切り捨て、上限値は端数切り上げをおこないます):

<変動範囲表示の四則演算例>

二硫化炭素 CS2 の分子量

Mr(CS2) = [12.0096, 12.0116] + 2 × [32.059, 32.076] = [76.1276, 76.1636]

二硫化炭素 CS2 中の炭素 C の質量分率(6 ケタ)

Mr(C) /Mr(CS2) = [12.0096, 12.0116] / [76.1276, 76.1636]
= [0.1576816..., 0.1577825...] = [0.157681, 0.157783]

このように変動範囲表示を用いた計算は、いささか厄介です。 さらに詳細にみると、端数の処理に関わって厄介な問題が出てきます。 たとえば二硫化炭素中の炭素の質量分率の計算は、 次のようにも計算できます。

二硫化炭素 CS2 中の炭素 C の質量分率(6 ケタ)別解

Mr(C) /Mr(CS2) = Mr(C) /[Mr(C) + 2Mr(S)]
= 1 /[1 + 2Mr(S)/Mr(C)] = 1 / [1 + 2 × [32.059, 32.076]/[12.0096, 12.0116]]
= 1 / [6.338006..., 6.341726...] = [0.15768576..., 0.1577783] = [0.157685, 0.157779]

小数点以下6ケタ目まで取っていますが、 最後の方のケタが合いません。 こうした問題は、有効数字の計算に関わっても出てきますが、 有効数字の計算では、通常は「中間結果は有効ケタを1ケタ上げて計算する」ことで回避できます。 それが変動範囲表示の場合には、より明瞭に出てくるというわけです。

こうした問題があったりするので、変動範囲表示を用いたこれら元素については常用原子量 conventional atomic mass が設定されています。 常用原子量は変動範囲表示の上下限同様、協定値でそれ自体の値には不確かさはありません。 常用原子量についてあまり知られていないようですが、もっと積極的に用いられてよいと思っています。

表 4-1.変動範囲表示の適用される元素と常用原子量
常用原子量interval表示interval表示(5ケタ)interval表示(4ケタ)
1水素H1.008[1.0078, 1.0082][1.0078, 1.0082][1.007, 1.009]
3リチウムLi6.94[6.938, 6.997][6.938, 6.997][6.938, 6.997]
5ホウ素B10.81[10.806, 10.821][10.806, 10.821][10.80, 10.83]
6炭素C12.011[12.0096, 12.0116][12.009, 12.012][12.00, 12.02]
7窒素N14.007[14.00643, 14.00728][14.006, 14.008][14.00, 14.01]
8酸素O15.999 [15.99903, 15.99977][15.999, 16.000][15.99, 16.00]
12マグネシウムMg24.305[24.304, 24.307][24.304, 24.307][24.30, 24.31]
14ケイ素Si28.085 [28.084, 28.086][28.084, 28.086][28.08, 28.09]
16イオウS32.06 [32.059, 32.076][32.059, 32.076][32.05, 32.08]
17塩素Cl35.45[35.446, 35.457][35.446, 35.457][35.44, 35.46]
18アルゴンAr(39.95)[39.792, 39.963][39.792, 39.963][39.79, 39.97]
35臭素Br79.904 [79.901, 79.907][79.901, 79.907][79.90, 79.91]
81タリウムTl204.38[204.382, 204.385][204.38, 204.39][204.3, 204.4]
82Pb(207)[206.14, 207.94][206.14, 207.94][206.1, 208.0]
アルゴンと鉛の常用原子量については、 CIAAW から公刊された数値が不明なので ( ) に入れてある。

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