前節の体積変化に関する形式論でそれが、粒子数のゆらぎ、分布と密接な関係にあることを見た。 この粒子の分布を表現する手段として分布関数がある。 分布関数の方法は液体の構造をとらえる上で、今日ではもっとも代表的な手法として一般に用いられている[0.7]。 しかし、しばしばそれは"構造論"の中に閉じ込められることが多く、実際に化学においてわれわれの観測する巨視的な諸量を理解する上ではほとんど有効に用いられることがなかったように思われる。 この章では、分布関数の方法を用いることによって体積変化がいかに記述できるかを明らかにする。
粒子の分布を理解するための方法としては、他にモデルに基づく議論がある。 つまり固体のように格子を組ませ、その構造をいわば参照系として液体の構造を考えようというわけである。 もっとも代表的かつ今日も生命を保っているものとして、バナ-ルによって展開された random closest packing というモデルがあげられる[2.1]。 このモデルは剛体分子を、乱雑に、そしてできるかぎり密に詰め込むことによってえられ、このモデルとなる集合体の構造との類推で液体の構造が論じられることになる。 しかし、その後の計算機実験などの方法でえられる知見と照らし合せてみると、このようなモデルの構造は液体というよりはむしろガラスやアモルファス金属の構造といったほうがよいようであり、 液体の構造をここから論じるのは問題がある。 さらに、こうしてえられる random closest packing の構造自身が、じつは分子のなりたちから説明するのが難しいものであり、かえって問題を拡散させる気配すらある。 これ以外にも、かって Lennard-Jones によって詳細に検討された液体の細胞モデルがある[2.2]。 単純立方格子上に配置された液体分子がその格子点の周りで熱運動しているという描像はたしかにわかりやすいものかもしれないが、所詮現実の液体のモデルとはならない。 特に分子が会合・変形するような化学反応についてはモデルの設定にきわめて大きな任意性がありとうてい解釈の枠組として耐えるものではない。 この細胞モデルは今日、液体論の分野では教科書の中にわずかになごりをとどめるだけの過去のアプロ-チとなってしまい、 むしろ分子性結晶の熱力学的性質の分野で活発な検討がなされつつあるようである[2.3]。 これは、液体に関し巷間に流布する議論で、しばしば大きな役割を演じる「自由体積」なるものの理論的基盤の崩壊を意味している。
液体論における分布関数は、ふつう対象とする分子種について異なる地点における密度の間の相関を表現するものとして取扱われる。 そのもっとも基本的なものは、密度-密度相関関数 \(G_{ij}(\vec{r}, \vec{r'})\) として知られるもので、
\begin{equation} G_{ij} (\vec{r}, \vec{r'}) = \langle n_i(\vec{r}) n_j(\vec{r'}) \rangle - \langle n_i \rangle \langle n_j \rangle \label{eq:2.1.1} \end{equation}
で定義される。 ここで、i\(, j\) はそれぞれ対象とする分子種を、\(n_i(\vec{r}), n_j(\vec{r'})\) はそれぞれの地点における密度、 \(n_i, n_j\) は体系全体としてみたときの密度をあらわす。 さらに表面を考えなければ液体は均一であるから\eqref{eq:2.1.1}式は
\begin{equation} G_{ij} (r) = \langle n_i(r) n_j(0) \rangle - \langle n_i \rangle \langle n_j \rangle \label{eq:2.1.2} \end{equation}
この密度相関関数を用いることによってさきの部分分子容の表現で体積 \(V\) 中での粒子数のゆらぎは次のように表わすことができる。
\begin{eqnarray} \langle \delta N_i \delta N_j \rangle &=& \int \int G_{ij} (\vec{r}, \vec{r'}) \rmd \vec{r} \rmd \vec{r'} \nonumber \\ &=& V \int G_{ij}(r) \rmd \vec{r} \label{eq:2.1.3} \end{eqnarray}
ここで、液体が均質であることを用いた。 したがって、部分分子容を知るには対相関関数を知るだけで十分でありより多体の相関関数は必要でないことがわかる。[補注5] ここでさらに、r が大きくなるとき \(G_{ij}(r)\) が十分早く0になるならば表面の効果は無視でき \eqref{eq:2.1.3}式の積分範囲を無限区間のものに置き換えることができる。 したがって、1章における無限希釈の部分分子容の表現はこれを用いれば
\begin{equation} V_2 = \langle n_1 \rangle^{-2} \int G_{11} (r) \rmd \vec{r} - (\langle n_1 \rangle \langle n_2 \rangle)^{-1} \int G_{12} (r) \rmd \vec{r} \label{eq:2.1.4} \end{equation}
で与えられることになる。 さらに、相関関数のフ-リエ変換を用いれば次のようになる。
\begin{equation} V_2 = \langle n_1 \rangle^{-2}~ \hat{G}_{11} (0) - (\langle n_1 \rangle \langle n_2 \rangle)^{-1}~ \hat{G}_{12} (0) \label{eq:2.1.5} \end{equation}
つまり、液体の構造性を対相関関数をフ-リエ変換した形で評価するならその波長無限大の成分こそが重要なのであり、その他の構造に関する情報は無用なのである。 これは、いたずらに液体の構造性なるものを論うことの無益さを示している。
密度-密度相関関数は、われわれの観測する熱力学量から出発するような分布関数である。 これに対し、何らかの粒子分布から出発して構成される分布関数がある。 これは、異なる地点に同時に粒子の存在する確率を与えるような関数である。 いわゆる二体の分布関数 \(n_{ij}(\vec{r},\vec{r'})\) はある体系が与えられたとき、\(i,j\) に属する粒子間の相関を示すものであり、 \eqref{eq:2.1.1} 式の密度-密度分布関数の第一項にほぼ相当する。[補注6] この二体分布関数は、十分遠方では \(\langle n_i \rangle \langle n_j \rangle\) に等しくなる。 したがって二体の分布関数 \(n_{ij}(\vec{r},\vec{r'})\)、を \(\langle n_i \rangle \langle n_j \rangle\) で割って規格化したものは密度によらず分子間に相関のない十分遠方では1となり、 何らかの相関のあるときには1と異なる値をとる。 これを \(g_{ij}(r)\) であらわし規格化した二体分布関数と呼ぶことにする。 以降、単に分布関数というと、この規格化された分布関数を指すものとする。 なおこれは一般には動径分布関数と呼ばれる。
\begin{equation} n_{ij}(r) = \langle n_i \rangle \langle n_j \rangle g_{ij}(r) \label{eq:2.1.6} \end{equation}
さらに一般に三体、四体、・・・の多体の分布についても同様の分布関数が定義される。
化学反応においては、原子の数が保存される。 つまり、化学反応は分子の組み替えであり、化学反応は反応物がもとの配置と異なる配置をとること、と考えることができる。 したがって、化学反応にともなう体積変化は配置の変化にともなう体積変化であるとみなせる。 この、配置のしかたを記述したものが前節でみた分布関数であり、体積変化が分布関数と密接な関係にあることが予想される。
簡単のため、極めて単純な反応
\begin{equation} c_1 \mrm{X_1} + c_2 \mrm{X_2} + c_3 \mrm{X_3} + \cdots \ \rightleftarrows \mrm{Y} \label{eq:2.2.1} \end{equation}
を考える。 一般の反応はこれを組み合わせたものと考えることができる。 このような反応のおきる系が化学平衡にあるとしよう。 このとき、反応物 X1、X1・・・についてすべての配置が実現されている。 いくつかの反応物分子がある配置をとったときに、それを何らかの方法で認知し、生成物 Y であると認定するとしよう。 こうしたとき、反応生成物 Y の総数 \(N_\mrm{Y}\) は反応物 X1、X1・・・についての分布関数 \(n(\vec{r_1}, \vec{r_2}, \cdots)\) を用いて次の式で与えられる。
\begin{equation} N_\mrm{Y} = \frac{1}{c_1 ! c_2 ! \cdots} \int n(\vec{r_1}, \vec{r_2}, \cdots) \chi(\vec{r_1}, \vec{r_2}, \cdots) \rmd \vec{r_1} \rmd \vec{r_2} \cdots \label{eq:2.2.2} \end{equation}
ここで \(\chi\) は Y と認定する時に 1 それ以外の時には 0 となる関数である。 いわばこの関数にわれわれの Y に対する観測手段が込められているわけである。 (たとえば、光吸収で Y を定量する場合と、蛍光で定量する場合とでは \(\chi\) は一般に異なるであろう) ここで、 \(\chi\) はあるごく限られた領域についてのみ 1 となるものとすれば \eqref{eq:2.2.2} 式は積分記号をはずして次のようになる。
\begin{equation} N_\mrm{Y} = \frac{\delta}{c_1 ! c_2 ! \cdots} n(\vec{r_1}, \vec{r_2}, \cdots) \label{eq:2.2.3} \end{equation}
ここで、\(\delta\) は生成物と認定する領域の大きさに相当する。 特に二つの球対称の反応物から Y が生成する場合にはもっと具体的に反応物 A, B 間の距離を \(r\)として
\begin{equation} \chi(r) = \left \{ \begin{array}{l1} 1 & r_0 \le r \le r_0 + \epsilon \\ 0 & r \lt r_0 ,~ r \gt r_0 + \epsilon \end{array} \right . \label{eq:2.2.4} \end{equation}
とおいて、Y の総数は
\begin{equation} N_\mrm{Y} = \frac{\delta}{s} n(r) V \label{eq:2.2.5} \end{equation}
となる。ここで、\(s\) は対称数で A = B のときは 2 それ以外の時には 1 となる。 またこのとき \(\delta\) は次式のようになる。
\begin{equation} \delta = 4 \pi r_0^2 \epsilon \label{eq:2.2.6} \end{equation}
このようにして、Y の総数に対する分布関数による表現が与えられた。[補注7] したがって、1章の式に代入することによって Y を生成する際の体積変化を求めることができる。 考える系は無限希釈にあるとしているので反応物濃度は Y に比して圧倒的に高いはずである。 したがって反応物濃度に Y の生成にともなう減少分を考慮する必要はない。 平衡定数 \(K\)は次のようになる。
\begin{eqnarray} K &=& \frac{N_\mrm{Y}}{V} \prod \left( \frac{N_i}{V} \right)^{-c_i} \nonumber \\ &=& \frac{1}{c_1 ! c_2 ! \cdots} \frac{\delta}{V} g(\vec{r_1}, \vec{r_2}, \cdots) \label{eq:2.2.7} \end{eqnarray}
つまり、平衡定数は規格化された分布関数と物質認定にともなう操作とから決まっているのである。 ここでわれわれが目をつける生成物 Y の配置が圧力によって変化しないとするなら体積変化は分布関数によって次のように書ける。
\begin{equation} \Delta V = -(\sum c_i - 1) \kappa_T k_\mrm{B} T - k_\mrm{B} T \pdif{\ln g(\vec{r_1}, \vec{r_2}, \cdots)}{P} \label{eq:2.2.8} \end{equation}
ここで\(\delta\) の圧力依存性を無視した。 \eqref{eq:2.2.7} 式、\eqref{eq:2.2.8} 式はきわめて重要な役割を担う。 これまで液体の構造性と化学反応を結ぶ試みはあまりにも乏しく、両者はしばしばまったく別個のものとして取扱われてきた。 この表式はこの両者が深いところで互いに結び付いていることを示すものである。