塩酸や水酸化ナトリウム溶液のような強酸、強塩基の溶液のpHは、酸・塩基のわずかな量の変化で大きく変動する。 ここではpHの測定の練習もかねて、塩酸と水酸化ナトリウム溶液のpHの測定を行う。同時にpH測定の問題についても注意したい。
ここではまず、 イオン交換水の pH が容易に変動する(緩衝作用がほとんどない)ことを体感してもらいます。 「少量の酸・塩基で pH が大きく変動する」とよく教科書に書いてありますが、 どれくらい「少量」かをみてもらおうというわけです。 また測定に利用する簡易型 pH 計の精度、 pH 試験紙使用上の問題にも目を向けてもらえることを期待しています。
イオン交換水の pH は 7 であると考えているような人もいたりしますが、 まずそれは通常の実験室では実現不可能です。 まず空気中には二酸化炭素があります。 二酸化炭素の分圧が 3 × 10-4 atm 程度なら、 飽和溶液であれば二酸化炭素濃度は 10-5 mol/L 程度になります (二酸化炭素の分圧が 1 atm で二酸化炭素の飽和濃度が25 °Cで 0.15 %)。 炭酸の第1解離定数 pKa は6.35 なので、いつか習った弱酸の pH の式 -(1/2) (log Kc) から、 pH は5.6 ぐらいになるでしょう。 こういった話は酸性雨などとのからみで聞いたことのある人もいるでしょう。 たぶん「優等生」はこう考えると思うのですが、実際にやってみるとそうはなりません。
図4-1.1 に示すのは 28 グループの皆さんが測定したイオン交換水の pH をざっくりプロットしたものです(2019年度)。 pH の値はほぼ 7 付近、平均6.89、標準偏差は 0.70 というところです。 この傾向は特に昨年度に限ったものではなく、従来の実験でも同様です。
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図4-1.1 イオン交換水の pH を簡易 pH 計ではかった結果。 |
なぜ二酸化炭素の影響が現れず、pH 7 付近になるのか? その最大の原因は、この実験の日にアンモニア緩衝溶液を作っていることにあります。 たいていの場合、同じ机で高濃度のアンモニア水を使って緩衝溶液を調製しているので、 少々局所排気装置で排気していても、 漏れ出てきたアンモニアが溶け込んでくるのです。 実際、イオン交換水の pH の測定をしている横にアンモニア緩衝溶液の入った瓶を置き、 手で扇いでやるだけで、イオン交換水の pH を上げることができます。 無論、息を吹きかけると二酸化炭素濃度が上がって pH が下がります。
指定されたように 50 mLのイオン交換水に 1 mol/L の塩酸を1滴加えると、 1滴をおよそ 0.05 mL とすれば、千倍に希釈するわけで塩酸濃度は 0.001 mol/L。 pH は 3 ぐらいになるはずです。 こういう計算はいいのですが、 実際にやってみないと、なかなか千倍希釈というものの感覚がつかめないものです。 この1 mol/L塩酸1滴加えた溶液に 1 mol/L の水酸化ナトリウム溶液を1滴加えた時、 もしその体積が (0.05 ± 0.01) mL であったなら、 結果として得られる溶液の pH は 7 ± 3.3 程度と、大きくばらつくことが期待されます。 実際に実験 3~6 の操作でどのような変化が見られたか、 上記28 グループの平均と標準偏差を示したのが図4-1.2 になります。
図4-1.2 塩酸・水酸化ナトリウム溶液を順次加えていった時の pH 変化の平均と標準偏差(バーで表示)。
上にも指摘したように、中和して pH 7 付近になる場合に、大きなゆらぎが現れることが分かります。
平均 | 標準偏差 | |
0.1 mol/L HCl | 1.65 | 0.34 |
1.0 mol/L HCl | 0.84 | 0.37 |
0.1 mol/L NaOH | 12.55 | 0.25 |
1.0 mol/L NaOH | 12.83 | 0.26 |
実験の中で、0.1 mol/L、1 mol/L の塩酸、水酸化ナトリウム溶液の pH をはかってもらいます。 すんなり pH 1、0、13、14 となってくれれば簡単ですが、 そんなに単純にはいきません。 右表に上記28グループの平均と標準偏差をまとめておきました(あまりに外れていたのは除いてあります)。
「予定」の値より、塩酸は大きく、水酸化ナトリウム溶液では小さく出ています。 また 0.1 mol/L と 1 mol/L の水酸化ナトリウム溶液の pH は0.3 程度しか違っていません (この傾向は以前使用していたモノタローのpH 計でも同じ)。 使用している簡易 pH 計では、pH 2 以下、pH 12 以上は応答が十分ではありません。 特に pH 13 以上は苦しいところです(これは少し上等な pH 計でも同様。「アルカリ誤差」と呼ばれます)。
pH 計 | pH 試験紙 | |
イオン交換水 | 6.89 ± 0.70 | 6.8 ± 0.6 |
+ HCl 1 drop | 3.31 ± 0.26 | 3.9 ± 1.1 |
+ NaOH 1 drop | 7.93 ± 2.83 | 7.1 ± 1.6 |
+ NaOH 1 drop | 11.00 ± 0.45 | 9.8 ± 1.3 |
+ HCl 1 mL | 3.19 ± 0.29 | 3.7 ± 1.7 |
+ NaOH 1 mL | 11.00 ± 0.60 | 9.5 ± 1.6 |
学生実験ではもっぱらユニバーサル試験紙と呼ばれる pH 試験紙を使います (pH 1 ~ 11のタイプ)。 pH の値をチェックするのに便利なのですが、 希薄な溶液(緩衝性の低い溶液)の pH を測る時には要注意です。 実験では一部 pH 計と pH 試験紙を併用して測ってもらっていますが、 右表に両者の結果を比較してあります(± 以下は標準偏差)。
pH 試験紙でも、pH 変化の様子はわかります。 判定にともなう不確かさが大きいのは仕方がないとして、 全体として pH 7 付近に値が偏る傾向があることが見て取れます。 これは pH 試験紙が緩衝性を持っていることによるもので、 希薄な溶液では若干 pH 7 の方に近い値に偏ります。 たとえば雨水の pH を pH 試験紙で調べようと思っても、 少々酸性でも pH 7 という結果になるわけです。 およそ濃度が 0.01 mol/L 以下ぐらいになると、 こうした影響が出るので、pH 試験紙よりは pH 計を使うのが無難です。 pH 試験紙の呈色に影響する因子としては、 他に生体試料などではタンパク質の影響(タンパク誤差)や塩類の影響(塩誤差)などもあり、 目安程度に使うにはよいのですが、精確な pH を知るには注意が必要です。
おなじみのリトマス試験紙 | もっぱら使用するユニバーサル試験紙(pH 1~11)。 pH 1~14 のものなどもある。 | 今回は登場しないが、トリコロールのユニバーサル試験紙(TRITEST)もある(写真の右下)。 3つのバンドが交じり合わないように、境界部分が水をはじくようになっている。 |
イオン交換水 | 水道水 | |
原水 | 6.89 ± 0.70 | 7.19 ± 0.38 |
+ HCl 1滴 | 3.31 ± 0.26 | 6.08 ± 0.86 |
+ NaOH 1滴 | 7.93 ± 2.83 | 8.39 ± 1.26 |
水道水にはおおむね 10-3 mol/L のオーダーの無機塩類が溶存しています。 これは重さで言うと 100 ppm といったところで、水道水は 99.99 %の高純度の水と呼ぶこともできます。 ですから一般に10-1 mol/L のオーダーの溶液を扱う合成実験などでは、 水道水もイオン交換水も同等に考えて大きな問題にはなりません。
でも10-2 mol/L のオーダーの溶液を扱い、1/1000 の精度を目指そうという分析実験などでは、 そのわずかの量の物質が大きな問題になります。 この実験で挑戦してもらうことにしている、水道水の pH 変化では、 50 mL に 1 mol/L の酸・塩基を1滴約0.05 mLを加え、 まさに 10-3 mol/L のオーダーの実験をしています。 右表には上の表同様、学生諸君の結果をまとめたものを示しましたが、 水道水では塩酸を加えても pH の減少は大きく抑えられています。 こうなるのは水道水中に炭酸水素イオン HCO3-が溶存している結果として理解できます (この対イオンとなっているのは主にカルシウムとマグネシウムイオン)。 この水道水中の炭酸成分については、後の「アルカリ度」の実験で調べてもらうことになります。