2016.10.15. last revised 2022.3.3.
吉村洋介
ファンデルワールス状態方程式のはなし

8.おしまいに

ファンデルワールス流体の熱力学に絞って、 サクサクと話をまとめるつもりでいたのですが、 初めて MathJax を使って書いているうちに面白くなって、 雪だるま式に膨れ上がってしまいました。 他にも種々の熱力学サイクルに関わって、モリエ線図なども興味深い話題だったりするのですが、 物理化学という立場からは、このあたりで止めておくのが適当でしょう。 一見なんでもないようなファンデルワールス状態方程式が熱力学の体系と切り結ぶ中で、 みるみる一つの世界が出来上がっていくのを感じ取っていただければ幸いです。

今日の整った教科書の熱力学の叙述を眺めているとなかなか見えてきませんが、 少し古い本や論文を見ると、 熱力学の関係式の導出には、種々の流儀があり、そこにさまざまなもの語りがあったのだろうと思われます。 例えば内部エネルギーの体積微分の関係式の導出は、プランクの本では次のようになっています(記号など、ぼく好みのスタイルにしてあります)。

まず次のエントロピーの温度微分と体積微分の式から出発します

\begin{align} \pdifA{s}{T}{v} &= \frac{1}{T} \pdifA{u}{T}{v} \\ \pdifA{s}{v}{T} &= \pdifA{s}{u}{v} \pdifA{u}{v}{T} + \pdifA{s}{v}{u} \\ &= \frac{1}{T} \pdifA{u}{v}{T} - \pdifA{s}{u}{v} \pdifA{u}{v}{s} \\ &= \frac{1}{T} \pdifA{u}{v}{T} + \frac{P}{T} \label{eq:dsdv} \end{align}

この2つの式をそれぞれ \(v, T\) で微分し、微分の順序交換をしても等しいはずなので

\begin{align} &\left( \frac{\partial}{\partial v} \pdifA{s}{T}{v} \right)_{T} = \frac{1}{T} \left( \frac{\partial}{\partial v} \pdifA{u}{T}{v} \right)_{T} \\ = &\left( \frac{\partial}{\partial T} \pdifA{s}{v}{T} \right)_{v} = \frac{1}{T} \left( \frac{\partial}{\partial T} \pdifA{u}{v}{T} \right)_{v} + \frac{1}{T} \pdifA{P}{T}{v} - \frac{1}{T^2} \pdifA{u}{v}{T} - \frac{P}{T^2} \end{align}

ここで \(\partial^{2} u/\partial v \partial T = \partial^{2} u/\partial T \partial v \) なので次の関係を得て

\begin{equation} \frac{1}{T} \pdifA{P}{T}{v} - \frac{1}{T^2} \pdifA{u}{v}{T} - \frac{P}{T^2} = 0 \end{equation}

最終的に3章の式(3)を得ます:

\begin{equation} \pdifA{u}{v}{T} = -P + T \pdifA{P}{T}{v} \label{eq:dudv} \end{equation}

3章で見たように予め得ていたマクスウェルの関係式

\begin{equation} \pdifA{s}{v}{T} = \pdifA{P}{T}{v} \label{eq:dsdv0} \end{equation}

を代入するというのとは大きく違います。 プランクの扱いでは、式 \eqref{eq:dsdv0} は、式 \eqref{eq:dudv} を式 \eqref{eq:dsdv} に代入して得られるのです。 このようなプランク流のアプローチ以外にも、 内部エネルギーに関する微分の順序交換(\(\partial^{2} u/\partial v \partial T = \partial^{2} u/\partial T \partial v \))から始める導出も、 かつては一般的だったようです。

ぼくのようにルイス-ランダル流の熱力学の流れをくむ、 今日の物理化学の教科書で育った世代から見ると、 式 \eqref{eq:dsdv0} は、モルヘルムホルツエネルギーに関する微分の順序交換(\(\partial^{2} \alpha /\partial T \partial v = \partial^{2} \alpha /\partial v \partial T \))の帰結で、 こうしたプランク流のアプローチはくどくて、本質を外しているようにも見えます。 しかし本当にそうでしょうか? あくまで \(S(U, V, N)\) という形のエントロピーの表現に立脚するなら、 その時の都合に合わせ、ルジャンドル変換を施してヘルムホルツエネルギーに登場願うのは、 (その当否はともかく)便宜主義、プラグマティズムと言われてもやむを得ないかもしれません。

かつて熱力学の体系と格闘した先人たちは、 今では数ある微係数の一つで済まされてしまう熱力学量、 あるいは「式の変形」で片づけられてしまうような微分操作に寄り添って、 それぞれに大きな意味を見出していたように思えます。 例えば内部エネルギーの体積微分 \((\partial u/\partial v)_T\) は「内部圧」という位置を占めていたし (ファンデルワールス自身は「分子圧」という概念を用いています)、 そうした文脈では \(T(\partial s/\partial v)_T\) は「体積変化の潜熱」であったわけです。 ぼくにはそうした営みを跡づける知識がありませんが、 先に紹介したプランクの内部エネルギーの体積微分の導出には、 彼のエントロピーという熱力学量へのこだわり、 人間の息づかいが感じられるように思います。 ここで紹介したファンデルワールス状態方程式の話を通して、 今風の自由エネルギーから粛々と演繹される世界とはまた違う、 その人の顔の見える、 手ごたえの確かな熱力学の世界を、皆さんが作っていってくださることを期待しています。

なお現実の流体の示す熱力学的な挙動との対比は、ここではほとんど触れませんでした。 そうした話は現実の流体の挙動を再現するように設計された他の状態方程式(Redlich-Kwon 式やPeng-Robinson 式など) などと対比して語られるべきものだと思います。 けれどもあまり言及されることのない、低温・高密度のファンデルワールス流体の挙動などを通して、 ぼくたちが何でもないように見ている身近な液体の熱力学的な挙動を、 皆さんが少し違うスタンスで見直していただくきっかけになれば幸いです。 また分子論、統計力学とのかかわりも、ほとんど言及しませんでした。 ファンデルワールス状態方程式は、最初期の熱力学的摂動論の帰結とも言え、 落としたくはない話題ではあったのですが、また後日を期したいと思います。

最後になりましたが、ぼく流のアプローチに依拠していて、 今日的な教育を受けた皆さんにはくどく思われるところ、 あるいはぶっとんだ記述があるかもしれません。 また例によって、式や計算の間違い、とんでもない思い違いをしているところなどもあるでしょう。 お気付きの点あれば、ご指摘いただければ幸甚です。


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